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211017読んだ本

読書の厄介なところは、という書き出しも余事記載になりつつあることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)
属しているブログ共通テーマからすると、記事そのものが余事記載のブログも結構・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本】

佐伯梅友&森野宗明&小松英雄(編著)『例解古語辞典 第二版 ポケット版』(三省堂,1985第3刷)所蔵本

助動詞「べし」の項を引くと、「③意志・決意を表わしたり、たずねたりするのに用いられる場合。
…するつもりだ。…しなければならない。」という説明の後に次の指摘が( ̄◇ ̄;) なお、原文は、
引用されてる古文(『古今著聞集』『大鏡』)の「べき」には傍線が付されており、また※は「解」
という字を四角で囲った記号であるm(__)m

    (b)「御堂[みどう]関白(=藤原道長)、(中略)四条大納言[藤原公任]に
    仰せられていはく、『いづれの舟に乗るべきぞや(=乗ルツモリカ)』と」〔著聞集五〕
    ※相手の意志・意向を尋ねる例。この話は『大鏡』の頼忠の条にもあり、該当部分は、
    「かの大納言、いづれの船には乗らるべき」となっている。側近の誰かに向かって道長が
    言ったことばだとして、あの大納言は、どの船にお乗りになるのだろうかと解している
    解している注釈書もあるが、古典語の「かの」「あの」の類は、ちょっと離れている人に
    向かって、そこにいるあなた、と呼びかけるような場合にも使われる。ここもそれとみる
    ことができる。そう考えると、『古今著聞集』のそれと同じだということになる。

公任が道長から「ちょっと離れている」のは公任が遅参したように『大鏡』が読めるからかと(^_^;)
遅参とは書いてないが、状況の描写と公任=遅参イメージから、そう読み込める(^_^;) 頼通大臣大饗
の準備に遅参した事実があり(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-13 )、
『今昔物語集』の説話においても遅参する公任(^_^;) 「『古今著聞集』のそれと同じ」というのが、
『大鏡』も「相手の意志・意向を尋ねる」如く訳せとの含意ではないのなら、余事記載かと(@_@;)
「かの」の解釈を変更して『大鏡』も「側近の誰かに向かって道長が言った」のではなく公任に対し
道長が直接的に訊ねたとすることで「『古今著聞集』のそれと同じ」というのなら、違和感(@_@;)
『大鏡』と『古今著聞集』、ともに実際の出来事を書いているのなら、「同じ」であるべきだけど、
そもそも、『古今著聞集』の当該記事は『十訓抄』からの抄入で、『十訓抄』の当該記事はおそらく
『袋草紙』が種本で、その『袋草紙』は『大鏡』がネタ元の可能性(^_^;) 少なくとも、11世紀後半に
成立した『大鏡』が12世紀後半に成立の『袋草紙』をネタ元にすることはありえない(^_^;) ただし、
この『大鏡』の記事にあるイヴェントの史実性を裏付けるものが無いことから、その点を『十訓抄』
『古今著聞集』の当該記事は指摘=加筆してるし、『袋草紙』『十訓抄』『古今著聞集』が(漢)詩
の舟と(和)歌の舟のどちらに乗るか選ばせてるのに対し、『大鏡』は作文(漢詩)の船と管弦の船
と和歌の船の三つから選ばせているように、実はイヴェント内容も少し異なって描かれている(^_^;)
従って、公任の「意志・意向を尋ねる」場面も必ずしも「『古今著聞集』のそれと同じ」である必要
は無い(^_^;) 石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)は『かの大納言、いづれの
船にか乗らるべき』という道長の発言は訳していないけど、当該記事の後段で公任が当時を回顧した
件では〈さても、殿の「いづれにかと思ふ」とのたまはせしになむ、〉を「それにしても、道長公が
 どの船に乗りたいと思うかねと仰せられたお言葉を耳にした時」と訳してることから、道長の発言
も「相手の意志・意向を尋ねる」意に解したと思われるのだが、『かの大納言、いづれの船にか乗ら
るべき』に続く「とのたまはすれば」を「〔人を通じて〕仰しゃったところ」と訳してて、「かの」
を「呼びかけ」の意には解していない(@_@;) 〈古典語の「かの」「あの」の類は、ちょっと離れて
いる人に向かって、そこにいるあなた、と呼びかけるような場合にも使われる〉という解説に小生は
へぇ~!と思ったけど、この『大鏡』の「かの」に関しては説得力が感じられなかった(@_@;) 上述
の理由に加え、『大鏡』をざっと見た限りではそのような用例が見当たらなかったこと(見落としが
あるかも)、『紫式部日記』に採られてる道長の「三位の亮、土器執れ」という発言でも「かの」は
使われてないこと(萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上巻』[角川書店,1971]
は「前掲の公卿の座の位置図(第78図)よりして、[藤原]実成[=「三位の亮」]の座が、道長の
座より東方の下座であることは明らかである・・・」とし、同図で両者は「ちょっと離れている」と
思われる)が判断根拠(@_@;) とはいえ、素人だし積極的に異議を唱えるつもりもないけど(@_@;)

[追記211017]

『古今著聞集』の当該説話の元ネタの淵源は『大鏡』の当該記事だろうから、『古今著聞集』の当該
説話は『大鏡』の当該記事を改変したものと解すべきであって、『古今著聞集』の記述に合うように
『大鏡』の解釈を敢えて変えるなんて本末転倒である、と直感した次第〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
タグ:歴史 説話 古典
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

「やや内角をねらい、えぐりこむようにして、打つべし!」
確かに、矢吹丈の意志が反映されているのかも。
道長もジャブの練習をしていたのかも・・・・
by tai-yama (2021-10-17 23:00) 

middrinn

丹下段平の意志・意向、てゆーか、命令の意でしょp(・ω・*q)ウツベシ!
by middrinn (2021-10-17 23:16) 

ナベちはる

ブログの共通テーマ、その都度書く内容が変わってくるので「あってないようなもの」と思っています(笑)
by ナベちはる (2021-10-18 01:21) 

middrinn

偶然SSブログに余所から来た人は、全然ブログ共通テーマと関係ないじゃん!
と各ブログ共通テーマランキングからブログを開いて呆れかえるかと(^_^;)
結果、リピーターとして定着せず、SSブログは衰退している、と認識(@_@;)
by middrinn (2021-10-18 07:10) 

喜んぶ

四時記載!?
。。読書の厄介なところは、ソレを実行したくなることである<(_ _)>
・・そして、生活圏に松屋が無い!、べしは赤塚マンガに出てる事実!?
寒くなりました、風邪などにもお気をつけて。

by 喜んぶ (2021-10-21 04:00) 

middrinn

実行されて凄いですねぇ( ̄◇ ̄;) べしは、
鼻の下のが髭なのか気になります(^_^;)
喜んぶ様、牛丼ならば、迷われることなく
吉野家でお食べになり、風邪も撃退(^o^)丿
by middrinn (2021-10-21 09:55) 

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