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210827読んだ本

読書の厄介なところは、碩学の想定した読者レヴェルが高いことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
これぐらいは解るだろうというレヴェルを頭がいい人はチト高めに設定しがちではないかと(@_@;)

【読んだ本】

坂本太郎(日本歴史学会編集)『菅原道真』(吉川弘文館人物叢書,1962→1990新装版)

読了(^o^)丿 藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)は次のように本書を評す(^^)

    ・・・同書は、道真に対する敬愛の念と厳密な文献実証主義とがよく調和した、
    精確でしかも平易な伝記であり、今日もなお道真伝のスタンダードとしての価値を
    失わぬ名著です。/・・・

この総評に納得(⌒~⌒) ただ、滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』(中公新書,2019)
171頁が「簡便な道真伝として定評のある坂本太郎『菅原道真』・・・」と記しているように、やはり
滝川・前掲書や、更には、「・・・道真の伝記的な事柄に関しては、できるだけ簡明にまとめるよう
にし、・・・」たという藤原・前掲書などと比べても、内容面でチト物足りなさは感じるかな(^_^;)
でも、史実ではない旨を指摘しながら、道真に関わる説話も二つ三つ紹介していたのは良かった(^^)
難点は、道真の作品(漢詩文や和歌)を結構紹介も、その現代語訳や大意を添えてないことね(^_^;)
とりわけ、配所で改元(昌泰→延喜)の詔書を読んで作った道真の詩を紹介しているけど、その後半
部分の「茫々たる恩徳の海。独り鯨鯢[げいげい]の横たはるあり。此の魚何ぞこゝにあらむ。人は
道[い]ふ汝が新名なりと。舟を呑むは我が口にあらず。浪を吐くは我が声にあらず。哀しいかな
放逐せらるゝ者。蹉跎[さた]として精霊を喪ふ。」(本書124~125頁)は説明が必要かと(^_^;)
滝川・前掲書237頁は〈「鯨鯢」はクジラのこと、「鯨」が雄、「鯢」が雌である。大魚で、小魚を
呑み食べることから不義の人、大悪人に喩える。天子の恩徳が満ちた海に、大悪人たる鯨鯢がいる。
それが、道真だという。詔書には「鯨鯢」として、大悪人道真が記されていたのである。〉と解説を
してくれてるけど、本書刊行当時の読者は、こーゆー解説とか無くても読み解けたのかしら(@_@;)

滝川・前掲書が「筆者は日本文学研究者であり、道真を漢詩人として考えることが多い。しかし、道真
が[「儒学を基礎に置いた」]官僚であった以上、道真伝は、その立場を中心に執筆することが主と
ならざるを得ない。」(同書13頁)として、儒臣としての道真を描き、藤原・前掲書が「道真の漢詩
を読むことのほうに、よりていねいに筆を費やしたい」として、道真を詩臣として描くのに対して、
「はしがき」で「私は道真を専門に研究した者ではない。ただ日本の歴史編修の沿革を調べて、かれ
の編した『類聚国史』の性格を検討したさい、かれの修史家としての良心と識見とに深くうたれる
ものがあった。私は日本の史家として第一級の人物とかれを評価した。私の道真への傾倒はそれから
始まったのである。」(本書3頁)と述べる本書は、歴史家としての道真にも着目(⌒~⌒) 歴史学の
泰斗である坂本太郎らしいv( ̄∇ ̄)ニヤッ 道真が自ら編集した「『類聚国史』は六国史の記事を事項に
よって分類して再編修し、検索の便に供したものであって、学問の資料としてだけでなく、実際政務
の参考書としたものである。」(本書138頁)が、その特長の一つを本書142頁に纏めている(⌒~⌒)
なお、下記の2文字分の欠字は「二の字点」に似ている〈何々〉という不定称の指示代名詞かとm(__)m

    ・・・/各部の各項においては、年月の順に六国史の関係記事を収載するが、その収載の
    仕方は厳密に原本主義をとり、一字一句の増減も施さない。ただ主題と関係ない部分は
    「云云[うんぬん]」と記して略し、最後に「事は  部に具[つぶさ]なり。」と
    注して、他に載録している部を示すことを忘れない。年月の上には必ず天皇の名を掲げ、
    以下同じ天皇の場合はこれを略する。また六国史は、改元の年は正月より新年号の元年と
    記すのを原則とするが、歴史事実としては改元の日の前は旧年号であったはずである。
    この書はその点に注意して、改元の日の前後で旧年号と新年号とを使いわけ、六国史の
    本文に惑されて、旧年号の期間に新年号を用いることはしない。そして以上の体裁は、
    いま伝わる六十二巻の全体にわたって厳格に一貫し、いささかの乱れもない。/・・・

「以下同じ天皇の場合はこれを略する」というのは、勅撰集の作者名表記の仕方と同じだな(@_@;)
漢詩文の勅撰集がどうなっているのかは知らないけど、『古今和歌集』は醍醐天皇の御代だし、影響
関係とかあるのかな(@_@;) 「改元の日の前後で旧年号と新年号とを使いわけ」るのも一理ある(^^)
歴史書は「改元の日の前」も「××元年」とせずに「▽▽何年(××元年)」としてほしいね(^_^;)

この『類聚国史』の意義は、坂本太郎『史書を読む』(中公文庫,1987→1992三版)では単に指摘のみ
だったので、上述の特長を踏まえて、本書144~145頁の叙述を読むと、その有難さが改めて解る(^^)

    ・・・/『類聚国史』のこうした性格のために、今日われわれのこうむっている学恩は
    大きい。六国史のうち『日本後紀』は早く散佚[さんいつ]して、いまは四分の一しか
    記事を残していない。その欠けている部分の記事は幸いに『類聚国史』の各部に分かち
    のせられているので、『類聚国史』から『日本後紀』の文を復原することができる。その
    文章に手が入っていると、この復原は完全には行なわれない。『日本紀略』のように省略
    を主としたものだと、復原しても完全ではない。けれども、『類聚国史』による復原は
    完全である。ただ『類聚国史』そのものに欠巻があるために、すべての記事を復原できない
    恨みがあるだけである。/古い時代もこの書は六国史の代用として大きな意味をもった。
    藤原時代から鎌倉時代にかけ、学者・文人がしばしば「国史云」として六国史の文を引くが、
    それは各々の国史の文を引いたのではなく、『類聚国史』の文を引いたものであると
    言われる。/・・・

初耳でチト興味深かったのが、道真が書道の神として信仰されていたという本書164頁の話( ̄◇ ̄;)

    ・・・/書道の神という信仰も広く行なわれた。江戸時代の寺子屋が、天神を祭り、
    天神講を行なったことは、学問の神ということもあろうが、より多くは書道の神と
    考えられたからであろう。もともと道真の筆跡を神筆と称し、空海と小野道風とに
    及ぶ能書家とする説は、藤原頼長の『台記』にあるから、かなり古くからのことで
    あるが、道真の書の実物は一つも伝わらないのであるから、その事実か否かを立証
    することはできない。むしろ道真在世当時の文献には、かれの書がすぐれていたこと
    を示すようなものは一つもない。これも歴史的事実というよりも、信仰の所産では
    ないかという気がするのである。/・・・

この辺も藤原克己の言う坂本太郎の「厳密な文献実証主義」が遺憾無く発揮されているかと(⌒~⌒)

    はしがき

    第一 代々の学者の家

     一 菅原氏のおこり
     二 土師氏
     三 三代の父祖

    第二 充実した若い日の生活

     一 少年のころ
     二 文章生から対策まで

    第三 少壮の官吏として

     一 少内記
     二 民部少輔
     三 式部少輔・文章博士

    第四 讃岐守の四年間

     一 地方に転出の事情
     二 国守としての責任感
     三 阿衡問題への関与

    第五 顕栄の座へ

     一 宇多天皇の知遇
     二 遣唐使の廃止
     三 官位の昇進
     四 宇多天皇の譲位
     五 顕栄のきわみ

    第六 破局と終焉

     一 大宰権帥
     二 筑紫下向
     三 大宰府の生活

    第七 道真の家族・子孫・邸宅

    第八 道真の学問

    第九 死後の道真

     一 贈官位と神格化
     二 天神信仰のいろいろ

    略系図

    略年譜

    参考文献

・本書も類書も菅原道真の「乳母」が誰かを明らかにしてないし、そもそも調べた様子も無い(ノ゚ο゚)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-18

・讃岐守への転出を左遷と感じてる道真への藤原基経(時平の父)からの詩句は惜別か激励か(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-17

・『増鏡(上)』を買ったので、坂本太郎『史書を読む』(中公文庫,1987→1992三版)を引く(^o^)丿

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-05-19

・日本古代史の泰斗である坂本太郎の『史書を読む』が紹介する黒板勝美のちょっといい話(´;ω;`)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-11-07
タグ:伝記 歴史 書道
コメント(4) 
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コメント 4

ナベちはる

本はどんな人が読むか判らないので、基本的には誰が読んでも解る本でないと良くないような気がします(^^;
もちろん、「学術的文献」レベルの本や「絵本」など、読む対象がある程度決まっている本であれば良い気がするのですが…
by ナベちはる (2021-08-28 01:13) 

middrinn

たしかに、一般向けの本は、言わばユニバーサルデザインであるべきですよね(^^)
ただ、難しいのが、そうなると説明のための字数が嵩んでしまうことですね(^_^;)
by middrinn (2021-08-28 05:47) 

tai-yama

漢詩がうまいなら字もうまいのは分かる気がしたり。
中国でPCのフォントみたいな字を手書きする子供がいたけど
字が綺麗なのは自慢になりますよね。私はダメだ・・・
by tai-yama (2021-08-28 19:21) 

middrinn

漢詩文が得意なら、漢字には詳しいんでしょうけど(^_^;)
字は大人になれば自然に上手くなると思ってましたけど(..)
by middrinn (2021-08-28 19:32) 

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