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210822読んだ本【バカチン】

読書の厄介なところは、専門家が発する「そもそも」に騙されることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
専門的知識に基づいた御託宣のように読者は受け止めて、その真偽や根拠の有無を問わないものね(^_^;)

【読んだ本(バカチン)】

滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』(中公新書,2019)

本書の「宇多朝の和歌と道真」という見出しの節(本書197頁~199頁)、チト気になる点が多いけど、
同節の末尾(本書199頁)で次のような結論を下している(@_@;)

    ・・・/和歌史という視点から考えれば、[宇多]天皇が深く関与し、[次代の醍醐
    天皇による]『古今和歌集』勅撰を醸成したと評価できるが、漢詩文も視野に入れれば、
    和歌よりも漢詩文作成が重視されていることは明白である。それは密宴の頻繁な開催に
    比べ、和歌会が宮中では行事として開かれていないことに顕著に現れている。/

んで、「新撰万葉集と道真」という見出しの節(本書199頁~200頁)が続いて、菅原道真が「撰進」
(本書199頁が引く『日本紀略』寛平5年[893年]9月25日条)した『新撰万葉集』、一般にウダダの
命によるとされているが、本書は「私的な撰集」と評価を下した上で、上記結論を踏まえた次の指摘
(本書200頁)で同節を〆ている∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですとぉ!?

    ・・・/このように和歌でも道真は宇多朝では関わりがあるが、しかし、道真の本領は
    何といっても漢詩文である。それは頻繁な密宴への参加、文章の代作が公卿に昇っても
    続いている事実が雄弁に語っている。そもそも、和歌は私的に詠まれるもので、
    この時代は公的に認められてはいなかった([滝川幸司]「宇多・醍醐朝の歌壇」
    [同『天皇と文壇──平安前期の公的文学』(和泉書院,2007)])。/

滝川幸司は「そもそも、和歌は私的に詠まれるもので、この[宇多朝の]時代は公的に認められては
いなかった」と言い切るが、昨日指摘したように、やはり伊勢タンの家集『伊勢集』すら披いてない
ようだヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 関根慶子&山下道代『私家集全釈叢書16 伊勢集全釈』(風間書房,1996)から
歌番号237の歌とその【通釈】、更に【語釈】の「菊の宴」の項と【参考】の一部を引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

      内裏に、菊の宴せさせたまふに

    秋の夜もふかくなるとや菊の花影さへそひて君に見すらん

       内裏において、菊の宴を[宇多天皇が]催された折に、

     秋の夜も次第にふけてきたと聞いてか、この夜の菊の花は、ともしびの光まで
     照り添うて、その美しい姿をわが君にお見せしようとしているのでございましょう。

    当時は、太陰暦九月九日の重陽の日に群臣に菊酒を賜わることが行なわれた。
    『延喜式』ではこれを「菊花宴」と呼んでおり、『大鏡』時平伝も重陽の日の
    行事を「菊の宴」と呼んでいるが、本集のこの場合は、重陽の日の行事とは別の
    ものであろう。伊勢が列席した宮中行事ならば、宇多朝のことと考えられるが、
    『日本紀略』寛平八年(八九六)九月十六日条に、「於清涼殿有菊花宴、不召文人」
    という記録があるのがそれかと思われる。・・・

    内裏菊の宴という、晴儀で詠まれた歌。夜のともし火に映える菊花の美しさを述べて、
    晴の場にふさわしい華やかさを詠み出している。『日本紀略』によると、宇多朝では、
    寛平元年(八八九)九月と寛平六年(八九四)十月に残菊宴が記録されており、
    これらの場合はいずれも詩が賦されている。しかし寛平八年九月十六日の清涼殿に
    おける菊花宴については、「不召文人」と記され、詩賦のことはなかったと知られる。
    伊勢のこの歌は、おそらくこの席で天皇の下命によって詠まれたものであろう。・・・

滝川幸司は「和歌よりも漢詩文作成が重視されていることは明白」と断定も、ウダダによる内裏での
この菊花宴が「不召文人」として漢詩人を召さずに伊勢タンに下命して和歌を詠ませたように漢詩文
よりも和歌詠作が重視された行事もあったわけで、「そもそも、和歌は私的に詠まれるもので、この
時代は公的に認められてはいなかった」が妄説であることは「明白」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

滝川幸司はこの菊花宴を9月9日に行われる節会としての重陽宴のような公式行事ではないと言い出す
かもしれないが、冒頭に引いたように、宇多朝で「漢詩文作成が重視されている」ことの根拠として
滝川幸司が挙げていたのは「密宴の頻繁な開催」だが、本書142頁に〈それ以外にもう一つ、漢詩文に
興味ある天皇が私的に開く詩宴がある。「密宴」とも呼ばれるが、格式としては内宴や重陽宴よりも
低く、公事とはいえない面がある。〉と記しており、「漢詩文作成」のため開かれた「密宴」も実は
「私的」なものにすぎず、故に漢詩文も「私的に詠まれるもの」だったことにオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

なお、秋山虔&小町谷照彦&倉田実『日本古典評釈・全注釈叢書 伊勢集全注釈』(角川書店,2016)
も、この関根&山下による「推測」を紹介し、「この[寛平8=896]年の蓋然性は高い。」として、
次のように述べている(⌒~⌒)

    宮中で催された菊の宴の折に、伊勢が詠進した歌である。晴の場の歌で、帝の下命を
    受けて詠んだものとされる。・・・

関根&山下や秋山&小町谷&倉田の評語にもあるように、宮中での菊花の宴という晴儀、晴れの場で
詠まれた和歌がウダダの時代の有名な歌人である伊勢タンの家集の中に存在するのに、「そもそも、
和歌は私的に詠まれるもので、この時代は公的に認められてはいなかった」だなんて笑止ヾ(`◇´)ノ
滝川幸司には「宇多・醍醐朝の歌壇」なる論稿もあるようだけど、両朝で活躍した代表的歌人である
伊勢タンの家集にすら目を通さずに、一体何を論じているのかしら、マジで不思議なんだが(@_@;)

なお、私的な密宴に召されて天皇賛美を期待されたのに自分を地方官にしないでと詠んだ道真の漢詩
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-08-20 )でも「公的」なのかねぇ(^_^;)
タグ:歴史 和歌 評伝
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

そもそも、和歌ってわからない~だったり(笑)。菅原道真をアゲたい
ので和歌は漢詩以下の扱いで書いた可能性も。
by tai-yama (2021-08-22 23:39) 

ナベちはる

専門家が「そもそも」というと「専門家が言っているなら間違いない」と思ってしまうので、専門家が言うことでもこれは本当のことなのかと疑わないといけないなと思いました。
by ナベちはる (2021-08-23 01:14) 

middrinn

道真を歌人としてではなく漢詩人として描くのは結構なんですが、
tai-yama様のおっしゃる通りか、漢詩文を和歌より上に置きたい
滝川幸司の執念がこの両節からはプンプン臭ってきますね(^_^;)
by middrinn (2021-08-23 06:51) 

middrinn

専門家の持っている権威のなせる業なんでしょうけど、
ナベちはる様、何事も疑うことが大切ですよね(^o^)丿
by middrinn (2021-08-23 06:52) 

そら

それは騙されますね!
私なんてその気になっちゃいますもん(^^;
by そら (2021-08-23 19:17) 

middrinn

しかも、一流の出版社の刊行物に掲載されてると、
権威づけがなされて、平伏しちゃいますね(^_^;)
by middrinn (2021-08-23 19:41) 

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