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210618読んだ本

読書の厄介なところは、索引があってしかるべき内容なのに無い本である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
本屋で手に取って目次以外に索引を見て面白そうな内容だと判断したら買ったりするんだけど(@_@;)

【読んだ本】

長崎健&外村南都子&岩佐美代子&稲田利徳&伊藤敬(校注・訳)『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』(小学館,1994)

本書所収の長崎健(校注・訳)『東関紀行』から北条泰時が植えた柳の話の現代語訳を引用した際に
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-06-15 )、省略した件(本書119頁)を
(詩歌を補って)引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/中国の召公奭[しょうこうせき]は周の武王の弟である。成王に仕えて、
    三公の一人として燕という国を治めた。かつて西の方を統治した時、一本の甘棠
    [かんとう]の下に座を占めて政治を行ったが、役人をはじめとして一般の人々に
    いたるまで、その生業を失うようなことはなく、また広く人々の訴えを公平に裁定し
    重い罪をも許してやった。国の人々は皆その立派な政治を慕ったので、召公が死んで
    からもその木を敬愛して伐ろうとせず、そのため歌をつくったという。後三条天皇が
    まだ皇太子でおいでの際、学士であった[藤原]実政が任国に赴任する際、「国の民
    たとひ甘棠の詠をなすとも、忘るることなかれ、多くの年の風月[ふげつ]の遊び
    (任地の人たちがよくなついても、長い間ともに楽しんだ風流の遊びの時のことも
    忘れてくれるなよ)」という詩を下さったというのも、この故事が心にあってのこと
    だろう、本当にありがたいことである。・・・

この召公の故事だが、福田秀一&岩佐美代子&川添昭二&大曾根章介&久保田淳&鶴崎裕雄(校注)
『新日本古典文学大系51 中世日記紀行集』(岩波書店,1990)所収の大曾根章介&久保田淳(校注)
による『東関紀行』は、「甘棠[かんたう]」(同書136頁)に付した脚注22(同書137頁)で「史記
・燕召公世家」から次の件(返り点は省略した)を引いており、典拠としては適切な方かと(⌒~⌒)

    召公巡行郷邑、有棠樹。決獄政事其下。自侯伯至庶人、各得其所、無失職者

小説だけど、宮城谷昌光「甘棠の人」(同『俠骨記』[講談社文庫,1994]所収)には次の件(⌒~⌒)

    ・・・/かつて召公が西方の邦を治めていたころ、養蚕や農耕の季節には、
    獄を弛[ゆる]めて拘禁者を釈放し、人民が正業にかえって職をおさめる
    機会をあたえた、と『淮南子』にはある。また争訟のことがあると、かれは
    それを甘棠(ひめかいどう)の樹の下でさばき、その裁判の公平性に庶人は
    喜ばぬ者はなかった。それゆえ召の故地の人々は、

      蔽芾[へいはい]たる甘棠
      翦[き]る勿かれ伐る勿かれ
      召伯の?[やど]りし所

    と、うたって、召公の遺徳をしのんだ。/ついでのことながら、のちに棠陰というと、
    すぐれた裁判のことを指し、甘棠の陰で公平な裁判をおこなった召公が、裁判を
    おこなう者たちに敬仰されつづけたことは、論を俟たない。/・・・

『淮南子』は未確認も、この「うた」は『東関紀行』の両注釈書の注にも出ていた『詩経』で確認、
海音寺潮五郎(訳)『詩経』(中公文庫,1989)だけど(^_^;) 「棠陰」が「すぐれた裁判のこと」と
あるが、駒田信二『中国好色犯罪小説集』(旺文社文庫,1986)の「あとがき」が宋の『棠陰比事』を
有名な「裁判説話集」の一つとして紹介していたことや(191109読んだ本)、『中国古典文学大系39
剪燈新話 剪燈余話 西湖佳話(抄) 棠陰比事』(平凡社,1969)の巻末の「『棠陰比事』解題」では
訳者である駒田信二が「『棠陰比事』は江戸時代の裁判物に大きな影響を与えた。」と指摘していた
こと(160605読んだ本)等へと繋がっていき、知識のネットワーク化〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

『東関紀行』に戻ると、「うれへをことわり」(本書119頁)に付された頭注27(本書119頁)には、

    「うれへ」は愁訴、「ことわる」は物事の是非を判断することから、訴えを裁定する意。

とあり、大曾根&久保田による前掲書も「うれへをことはり」(同書137頁)の脚注23(同書137頁)
は次の通りで、後々の話だけど非常に重要なポイントだから、忘れるなかれオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    訴訟を裁定し。群本「患をことはり」。

さて、さて、さ~て!本題だけど、「甘棠」(本書119頁)に付された頭注26(同頁)を引く(@_@;)

    果樹で、小林檎[こりんご](やまなし)。以下の記述は「甘棠の愛」の故事
    (春秋左氏伝)による。

小倉芳彦(訳)『春秋左氏伝』(岩波文庫,1988-89)全三冊、語句索引も人名索引も無くて、ざっと
目を通してはみたんだけど、「甘棠」についての記述は、次の2つしか見付からなかった(@_@;)


①昭公二年(同書下巻45頁)

    ・・・饗宴が終って季子邸での宴となった。庭に美しい樹木があり、宣子がこれを誉めた。
    武子は、

     「宿[わたくし]はこの樹を長く育て上げて、「角弓」の精神を忘れぬようにします」

    と、さらに〔[『詩経』の]召南の〕「甘棠」を歌い、〔宣子を召公奭に比すると〕、
    宣子は言った。

     「起[わたくし]には過分のお言葉。とても召公には及びません」/・・・

②定公九年(同書下巻358~359頁)

    ・・・つまり、その人物の主張を採用すれば、〔たとえ欠点があっても〕その人物まで
    切り棄てたりはしないのだ。『詩[=詩経]』に、

       こんもり茂れる甘棠よ、
       枝を切るな、幹切るな。
       樹下に召公の舎[やど]りし所なれば。  (召南 甘棠)

    とあるように、人物を慕えば、それに縁りの樹木も惜いもの。ましてその主張を採用
    したならば、人物を切り棄てることはないのだ。・・・

どちらも〈以下の記述は「甘棠の愛」の故事(春秋左氏伝)による〉には当てはまらないと思うが、
小生が見落としたのかな(@_@;) ま、今回は前哨戦だしねC= (-。- ) フゥーヾ( ̄o ̄;)オイオイ敵本主義?

[追記210702]

楠山春樹『新釈漢文大系55 淮南子 中』(明治書院,1982)の「巻十 繆称訓」十九の514頁及び515頁
から引く_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

    ・・・/召公は、桑蠶[さうさん]耕種の時を以て、獄を弛[ゆる]め
    拘[とらはれ]を出[いだ]し、百姓をして皆業に反[かへ]り
    職を脩[をさ]むることを得しむ。・・・

    ・・・/召公(周の成王の補佐)は、養蚕や農耕の季節には、罰を軽くして、
    囚人を釈放し、人民がみなそれぞれの生業に復し、職をおさめるようにさせた。
コメント(4) 
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コメント 4

ナベちはる

索引がないと、該当するページを探すのにも一苦労しますね(+o+)
by ナベちはる (2021-06-19 01:50) 

middrinn

しかも、『春秋左氏伝』なんか全三冊ですよ(^_^;)
by middrinn (2021-06-19 05:31) 

tai-yama

索引が「無い様」なので内容がないよう と言ってみたり(笑)。
拘禁者を釈放して土地(荒れ地)を開墾させたとも・・・。
by tai-yama (2021-06-19 17:14) 

middrinn

ナイヨー3連発ですね(^_^;) 「長期にわたって分載された一連の事件
を続けて読めるように、列国大事索引を各巻末につけた。」と「凡例」
にありますが、「甘棠」に関する記述を知りたい者には役立たず(^_^;)
by middrinn (2021-06-19 18:38) 

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