210507読んだ本
読書の厄介なところは、近代文学の理解に歌舞伎の知識が必要なことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
長時間マスクしてると、紐の痕が顔に残ってしまい、口裂け女の正体はコレではないかとヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
【読んだ本】
戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫,1996)所蔵本
続けて、「川尻清潭[かわじりせいたん]のナイトキャップ」を読むも、全く知らなかった人物で、
ネット検索結果をメモ_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
1876-1954 明治-昭和時代の演劇評論家。
明治9年8月1日生まれ。川尻宝岑(ほうきん)の養子。三木竹二主宰の「歌舞伎」に
型の記録や芸談を寄稿,のち「演芸画報」などに執筆した。大正14年東京歌舞伎座
監事室室長。昭和29年12月14日死去。78歳。東京出身。商業素修学校卒。名は義豊。
別号に忘路庵。著作に「楽屋風呂」など。
世界大百科事典 第2版
1876‐1954(明治9‐昭和29) 歌舞伎研究家。本名義豊。別号忘路庵(ぼうろあん),
大愚堂(だいぐどう),司馬江猿(しばこうえん)など。東京浅草の生れで,
養父は劇作家川尻宝岑(ほうきん)。幼少より芝居に親しみ,商業素修学校を卒業後,
雑誌《歌舞伎》《演芸画報》等に型の記録・芸談・逸話・鑑賞手引などを寄稿。
1925年からは松竹の嘱託として東京歌舞伎座の監事室に勤務,晩年まで豊富な知識が
重宝がられた。しばしば古劇を補綴し,舞踊劇も多く執筆。
20世紀日本人名事典
明治~昭和期の歌舞伎研究家,演劇評論家
生年 明治9年8月1日(1876年)
没年 昭和29(1954)年12月14日
出生地 東京・浅草蔵前
本名 川尻 義豊
別名別号=忘路庵,大愚堂,司馬 江猿
経歴幼少の頃から芝居を見つづけ、明治40年「演芸画報」創刊時より社員となる。
大正5年玄文社発行の「新演芸」記者となり、また松竹にも関係し、10年から晩年まで
同社の舞台監事、室長を務めた。「名優芸談」「楽屋風呂」などの著書があり、
ほかに「菊五郎百話」などの編著がある。
一応メモってはみたけど、どれも本書本篇に出ている情報だったな(^_^;) ちなみに、「監事室」から
「ダメ(注文)を出している」様子は次の通り( ̄◇ ̄;)
・・・[日本演劇社に入り]取材でしじゅう劇場にゆく私は、見直したい芝居を見に、
東京劇場の監事室に入れてもらう機会がたびたびあった。/その時そこに毎日欠かさず
出勤していたのが、川尻さんであった。監事室というのは、ガラス張りの箱になっていて、
そこから舞台を見て、いろいろ裏方に連絡をとり、指示を与えるのだ。/幕があいた時、
照明がアンバランスになっていたり、大道具の立て方がゆがんでいたりすると、すぐに
電話で知らせる。すこしも油断のならない仕事である。/川尻さんは長年、やがて
歌舞伎座に移るその席にすわって、二十五日の興行のほとんど全部を、毎日見るという、
辛抱づよい縁の下の力持をつとめて、晩年をすごしたといってもいい。
永井荷風と親しかった由、『断腸亭日乗』にも登場も、〈岩波版の全集では、六日と八日の句の下に
「豊阿弥」と書きこまれているので、中央公論社版の「或人」「××氏」の正体を示したのだった。〉
とある_φ( ̄^ ̄ )メモメモ ともかく、本篇によれば、歌舞伎界の生き字引的存在だったみたい( ̄◇ ̄;)
それゆえ、歌舞伎を知る上で、本篇が紹介している川尻清潭の芸談の本なんかは役に立ちそう(^o^)丿
まだ無名の20代の青年3人(志賀直哉・木下利玄・山内英夫[=のちの里見弴])の関西旅行の旅日記
『寺の瓦』を、百目鬼恭三郎『読書人読むべし』(新潮社,1984)は「歌舞伎の本」の章で紹介し(同
『乱読すれば良書に当たる』[新潮社,1985]でも紹介)、「・・・このころまでは、歌舞伎は、この
三人のように西欧の文化を積極的に摂取していた、新しい時代の青年にとっても、ことほどさように
親しいものだった、ということをこの本は物語っているのである。・・・歌舞伎は彼らの血液の中に
溶けこんでいたといえるだろう。」とした上で、
・・・/そういうわけで、歌舞伎についての知識をもつことは、近代文学を理解するうえで
必要なことなのである。・・・/近代文学というと、従来はとかく、西欧の文学との対比、
つまり、どのくらい西欧の文学に近づいているか、ということを唯一の尺度として見てきた
きらいがあるようだ。しかし、実際には、近代文学の土台となってきたもののひとつは、
旧文化である歌舞伎だったということを、私たちは考え直す必要がありそうだ。歌舞伎は、
たんに伝統演劇としての意味をもつのではない。その影響は、深層部において現代文学に
まで及んでいるのである。・・・
『源氏物語』の「鈴虫」の巻、各注釈書で先日ざっと目を通したけど、あれだけ和歌が埋め込まれた
本文を現代語訳化するには、和歌に関するかなりの知識、かつ見識の持ち主でないと無理かと(^_^;)
『源氏物語』の読解には和歌の知識が必要という百目鬼恭三郎の指摘を改めて実感した次第だけど、
近代文学の諸作品を理解するために先ずは歌舞伎について学ぶというのは、遠い先の話かな(´・_・`)
・「江戸川乱歩の好奇心」は御愛想と思ってたところ「翌日」「速達」なのが〈ちょっといい〉(^^)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-07
・「徳川夢声の話術」は古川ロッパが夢声の声帯模写をしてラジオ聴取者が気付かなかった話(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-11
・「有吉佐和子の笑い声」は彼女の推理小説の書評を頼まれるも「なぜこんなに下手なのだろう」(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-18
・「菊田一夫の博愛」は新聞社から公職追放についての情報が伝えられ菊田一夫の名前もあった(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-20
・「芥川比呂志の酒席」は初版本「羅生門」の末行が「下人の行方は、誰も知らない」に非ずと(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-24
・「小泉喜美子の博識」では歌舞伎にも詳しい推理小説家の才気煥発ぶりも巧みに描かれる(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-29
・「三島由紀夫の哄笑」では戸板康二による解説の「これは三島氏の若書きであるが」に誤植( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-03
・「川口松太郎の人情」では「婚礼の披露宴」における川口松太郎のスピーチがマジで絶妙(〃'∇'〃)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-05
・「岩田豊雄の食味」は「獅子文六という筆名にしても、四四十六をもじったのではなく・・・」(゚ロ゚;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-11
・「古川緑波の冗句」の「昔の探偵小説は、悪人の姓が・・・何となく憎々しいのが多かった」由(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-15
・「伊馬春部のカメラ」の「誰から花をもらった、どこから酒を寄付された」と書くのはダメだろ(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-02-25
・「奥野信太郎の探求」、この中国文学者のことが好きになれぬエピソードまで紹介されてた(-ω-、)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-01
・「田辺茂一の大鞄」の田辺茂一が立川談志に与えた「巧は拙を蔵する」という言葉について(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-05
・「藤本真澄の映画」は「東京一淋しい男」(映画「裸の重役」の原作)のモデルが誰なのか(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-24
・「三宅周太郎の宗教」では「新聞劇評家に質す」という公開質問状のような評論が気になる(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-01
・「十返肇のアンテナ」の自称「軽評論」とは伊藤整『日本文壇史』に通じるものなのかなぁ(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-03
・「小宮豊隆の吉右衛門」でも言及の『漱石全集』より「主要近代文学全集一覧」を読みたいな(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-07
・「花森安治のスカート」は「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」に関する伝説(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14
・「寺山修司の国訛」では模倣小僧と呼ばれていたことなどはモチ本書には書かれてないけど(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-21
・「大谷竹次郎の劇場愛」では真山青果『平将門』を読みたくなったが(ノ ̄皿 ̄)ノナンデヤネン!┫:・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-26
・「田村秋子の完全主義」だが、夫が戦死した上に「見世物」なんかにはされたくないよね(´ヘ`;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-30
・戸板康二の「ちょっといい話」シリーズ4冊から〈真・ちょっといい話〉を選りすぐってみた(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-12-27
長時間マスクしてると、紐の痕が顔に残ってしまい、口裂け女の正体はコレではないかとヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
【読んだ本】
戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫,1996)所蔵本
続けて、「川尻清潭[かわじりせいたん]のナイトキャップ」を読むも、全く知らなかった人物で、
ネット検索結果をメモ_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
1876-1954 明治-昭和時代の演劇評論家。
明治9年8月1日生まれ。川尻宝岑(ほうきん)の養子。三木竹二主宰の「歌舞伎」に
型の記録や芸談を寄稿,のち「演芸画報」などに執筆した。大正14年東京歌舞伎座
監事室室長。昭和29年12月14日死去。78歳。東京出身。商業素修学校卒。名は義豊。
別号に忘路庵。著作に「楽屋風呂」など。
世界大百科事典 第2版
1876‐1954(明治9‐昭和29) 歌舞伎研究家。本名義豊。別号忘路庵(ぼうろあん),
大愚堂(だいぐどう),司馬江猿(しばこうえん)など。東京浅草の生れで,
養父は劇作家川尻宝岑(ほうきん)。幼少より芝居に親しみ,商業素修学校を卒業後,
雑誌《歌舞伎》《演芸画報》等に型の記録・芸談・逸話・鑑賞手引などを寄稿。
1925年からは松竹の嘱託として東京歌舞伎座の監事室に勤務,晩年まで豊富な知識が
重宝がられた。しばしば古劇を補綴し,舞踊劇も多く執筆。
20世紀日本人名事典
明治~昭和期の歌舞伎研究家,演劇評論家
生年 明治9年8月1日(1876年)
没年 昭和29(1954)年12月14日
出生地 東京・浅草蔵前
本名 川尻 義豊
別名別号=忘路庵,大愚堂,司馬 江猿
経歴幼少の頃から芝居を見つづけ、明治40年「演芸画報」創刊時より社員となる。
大正5年玄文社発行の「新演芸」記者となり、また松竹にも関係し、10年から晩年まで
同社の舞台監事、室長を務めた。「名優芸談」「楽屋風呂」などの著書があり、
ほかに「菊五郎百話」などの編著がある。
一応メモってはみたけど、どれも本書本篇に出ている情報だったな(^_^;) ちなみに、「監事室」から
「ダメ(注文)を出している」様子は次の通り( ̄◇ ̄;)
・・・[日本演劇社に入り]取材でしじゅう劇場にゆく私は、見直したい芝居を見に、
東京劇場の監事室に入れてもらう機会がたびたびあった。/その時そこに毎日欠かさず
出勤していたのが、川尻さんであった。監事室というのは、ガラス張りの箱になっていて、
そこから舞台を見て、いろいろ裏方に連絡をとり、指示を与えるのだ。/幕があいた時、
照明がアンバランスになっていたり、大道具の立て方がゆがんでいたりすると、すぐに
電話で知らせる。すこしも油断のならない仕事である。/川尻さんは長年、やがて
歌舞伎座に移るその席にすわって、二十五日の興行のほとんど全部を、毎日見るという、
辛抱づよい縁の下の力持をつとめて、晩年をすごしたといってもいい。
永井荷風と親しかった由、『断腸亭日乗』にも登場も、〈岩波版の全集では、六日と八日の句の下に
「豊阿弥」と書きこまれているので、中央公論社版の「或人」「××氏」の正体を示したのだった。〉
とある_φ( ̄^ ̄ )メモメモ ともかく、本篇によれば、歌舞伎界の生き字引的存在だったみたい( ̄◇ ̄;)
それゆえ、歌舞伎を知る上で、本篇が紹介している川尻清潭の芸談の本なんかは役に立ちそう(^o^)丿
まだ無名の20代の青年3人(志賀直哉・木下利玄・山内英夫[=のちの里見弴])の関西旅行の旅日記
『寺の瓦』を、百目鬼恭三郎『読書人読むべし』(新潮社,1984)は「歌舞伎の本」の章で紹介し(同
『乱読すれば良書に当たる』[新潮社,1985]でも紹介)、「・・・このころまでは、歌舞伎は、この
三人のように西欧の文化を積極的に摂取していた、新しい時代の青年にとっても、ことほどさように
親しいものだった、ということをこの本は物語っているのである。・・・歌舞伎は彼らの血液の中に
溶けこんでいたといえるだろう。」とした上で、
・・・/そういうわけで、歌舞伎についての知識をもつことは、近代文学を理解するうえで
必要なことなのである。・・・/近代文学というと、従来はとかく、西欧の文学との対比、
つまり、どのくらい西欧の文学に近づいているか、ということを唯一の尺度として見てきた
きらいがあるようだ。しかし、実際には、近代文学の土台となってきたもののひとつは、
旧文化である歌舞伎だったということを、私たちは考え直す必要がありそうだ。歌舞伎は、
たんに伝統演劇としての意味をもつのではない。その影響は、深層部において現代文学に
まで及んでいるのである。・・・
『源氏物語』の「鈴虫」の巻、各注釈書で先日ざっと目を通したけど、あれだけ和歌が埋め込まれた
本文を現代語訳化するには、和歌に関するかなりの知識、かつ見識の持ち主でないと無理かと(^_^;)
『源氏物語』の読解には和歌の知識が必要という百目鬼恭三郎の指摘を改めて実感した次第だけど、
近代文学の諸作品を理解するために先ずは歌舞伎について学ぶというのは、遠い先の話かな(´・_・`)
・「江戸川乱歩の好奇心」は御愛想と思ってたところ「翌日」「速達」なのが〈ちょっといい〉(^^)
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・「徳川夢声の話術」は古川ロッパが夢声の声帯模写をしてラジオ聴取者が気付かなかった話(゚ロ゚;)
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・「有吉佐和子の笑い声」は彼女の推理小説の書評を頼まれるも「なぜこんなに下手なのだろう」(゚ロ゚;)
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・「菊田一夫の博愛」は新聞社から公職追放についての情報が伝えられ菊田一夫の名前もあった(゚ロ゚;)
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・「芥川比呂志の酒席」は初版本「羅生門」の末行が「下人の行方は、誰も知らない」に非ずと(゚ロ゚;)
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・「小泉喜美子の博識」では歌舞伎にも詳しい推理小説家の才気煥発ぶりも巧みに描かれる(〃'∇'〃)
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・「三島由紀夫の哄笑」では戸板康二による解説の「これは三島氏の若書きであるが」に誤植( ̄◇ ̄;)
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・「川口松太郎の人情」では「婚礼の披露宴」における川口松太郎のスピーチがマジで絶妙(〃'∇'〃)
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・「岩田豊雄の食味」は「獅子文六という筆名にしても、四四十六をもじったのではなく・・・」(゚ロ゚;)
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・「古川緑波の冗句」の「昔の探偵小説は、悪人の姓が・・・何となく憎々しいのが多かった」由(^_^;)
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・「伊馬春部のカメラ」の「誰から花をもらった、どこから酒を寄付された」と書くのはダメだろ(^_^;)
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・「奥野信太郎の探求」、この中国文学者のことが好きになれぬエピソードまで紹介されてた(-ω-、)
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・「田辺茂一の大鞄」の田辺茂一が立川談志に与えた「巧は拙を蔵する」という言葉について(@_@;)
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・「藤本真澄の映画」は「東京一淋しい男」(映画「裸の重役」の原作)のモデルが誰なのか(@_@;)
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・「三宅周太郎の宗教」では「新聞劇評家に質す」という公開質問状のような評論が気になる(@_@;)
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・「十返肇のアンテナ」の自称「軽評論」とは伊藤整『日本文壇史』に通じるものなのかなぁ(@_@;)
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・「小宮豊隆の吉右衛門」でも言及の『漱石全集』より「主要近代文学全集一覧」を読みたいな(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-07
・「花森安治のスカート」は「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」に関する伝説(^_^;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-14
・「寺山修司の国訛」では模倣小僧と呼ばれていたことなどはモチ本書には書かれてないけど(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-21
・「大谷竹次郎の劇場愛」では真山青果『平将門』を読みたくなったが(ノ ̄皿 ̄)ノナンデヤネン!┫:・
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-26
・「田村秋子の完全主義」だが、夫が戦死した上に「見世物」なんかにはされたくないよね(´ヘ`;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-04-30
・戸板康二の「ちょっといい話」シリーズ4冊から〈真・ちょっといい話〉を選りすぐってみた(^_^;)
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マスクのしすぎで、口の周りが歌舞伎役者の隈取の様に
なっていたり(笑)。
by tai-yama (2021-05-07 23:40)
近代文学と歌舞伎が関連があるとは驚きですが、歌舞伎の知識は近代文学のそれ以上に知識がありません(汗)
by ナベちはる (2021-05-08 01:59)
長時間マスクしてると、口の周りが、
tai-yama様、ベトつきますね(+_+)
by middrinn (2021-05-08 05:31)
小生も全く同様です(^_^;) そうなると、
ナベちはる様、歌舞伎よりは近代文学の
方が理解可能なように思えますね(^_^;)
by middrinn (2021-05-08 05:34)