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210408読んだ本

読書の厄介なところは、寝落ちして電気代を浪費してしまうことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
メチャ面白くて巻を措く能わざる本で、寝不足になった上に電気代かかるのも、ちょっとなぁ(^_^;)

【読んだ本】

黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)

八代集に唯一入った歌が太田道灌の作と思われてしまってる兼明親王のことが本書20~21頁に(^_^;)

    ・・・/その年[=永延元=987年]九月には前[さきの]中書王兼明親王が
    七十四歳で世を去った。彼は一度源姓を賜わり、左大臣に至ったが、関白兼通の
    棚上げ政策で親王に格上げされた。親王は大臣・納言にならない慣例であるため
    閑職の中務卿となった。中書王というのは中務卿親王を中国風に称したもので、
    同じく文名の高い村上皇子具平親王を後[のちの]中書王というのに対し、
    前中書王と称したのである。その格調高い詩文の才だけでなく、能書の人としても
    抜群であった親王は、醍醐源氏に縁の深い行成にとって、当然敬慕の対象であった
    にちがいない。彼が親王の書を学んだことは、後年自ら臨書したものを子息に
    与えていることでも知られる(『権記』寛弘八年十一月二十日条)。/・・・

行成は伊尹の孫だったため藤原朝成の怨霊に祟られたから兼明親王の怨霊を恐れ・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
何せ生霊になったし(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-10 )、兼通の死
や太田道灌の横死も(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-03-18 )(゚ロ゚;)マジ!?

三蹟の一人とされる行成、その書の才は子孫にも受け継がれたということは本書からも判る(⌒~⌒)
先ず本書226~227頁を引く(^^)

    ・・・/長家[=道長の子]と行成女の結婚には、行成家の強化というもう一つの面が
    あったが、それは[行成女が結婚の2年後に病没して]短期間に終ってしまった。しかし
    それは決して無駄ではなかったと思う。のちに長家室の同母弟の行経は、異母兄実経・
    良経が果せなかった公卿の座に着き、行成家の本流となり、後世の世尊寺流の基となるが、
    彼は同母姉との縁で長家に接近し、また長家の生母[源]明子と血縁の[源]隆国(俊賢
    の子)とも親しく、これらを背景として摂関家に信任されていたようである(黒板伸夫
    「藤原行成の子息たち」古代学協会編『後期摂関時代史の研究』所収)。/・・・

「長家室」=「行成女」も、『更級日記』によると(猫に生まれ変わったとされているだけでなく)
その筆跡を「お手本に」と菅原孝標女に与えたぐらいだから、父に似て上手だったんだろうね(;_;)

    ・・・/この[源]泰清女[=実経・良経の生母]の死後、その妹が行成の正室と
    なったのはまもなくと考えられるが、その所生の男子が行経、女子は長家室となり
    早世した。前に述べたように行経はおそらく長家との縁で摂関家に密着し出世して
    行く。源俊賢男の隆国とは親密であったが、小野宮家の資房とは不和で彼の日記
    (『春記』)にみえる二人の席次の争いは執拗である。資房は行経の素行にも批難を
    放っているが、行経は能吏で、かつ要領のよい人物であったらしく、行成の子息中で
    最も出世し、寛徳五年参議、永承五年(一〇五〇)従二位に至るが、その年三十九歳
    で没した。なお齢を重ね得れば納言の座は確実であったであろう。能書にも数えられ、
    行成家の本流(のち世尊寺家とよばれる)は彼の後継者たちである。/・・・

この本書274頁の記述によれば、実経と良経ではなく、その異母弟である行経が、行成の書の才も受け
継いだみたい(⌒~⌒) この行経の子孫から能書家が出たことは本書277頁の次の記述にある(⌒~⌒)

    ・・・/さて行成の後継者のうち、行経の系統がその主流となったことは前述したが、
    家格と家職が固定化して行く公家社会の歴史的な流れの中で、能書すなわち入木道
    [じゅぼくどう]の家として朝廷に仕えた。行経以後、伊房、定実、定信、伊行、
    伊経、行能と父子相承される。行能に至って「世尊寺」を家号とし、ここに名実共に
    世尊寺流が成立する。行能の後は経朝が継ぐが、彼は養子で実父は権中納言藤原頼資
    であった。頼資は藤原有国の子資業の系統である。経朝以後、経尹、定成(経尹弟)、
    行房(経尹子)、行尹(行房弟)、行忠(行尹養子)、行俊、行豊、伊忠、行季
    (実父は権大納言清水谷実久)、そして天文元年(一五三二)に行季が没すると
    世尊寺家は絶え、書の家として朝廷に奉仕する役は持明院家に移った(小松茂美
    『展望 日本書道史』昭61・『尊卑分脈』・『世尊寺家現過録』・『公卿補任』)。/

行成の孫で行経の子の伊房の能書ぶりを紹介する説話は、浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学
全集51 十訓抄』(小学館,1997)や(その抄入だけど)西尾光一&小林保治(校注)『新潮日本古典
集成 古今著聞集 上』(新潮社,1983→2019新装版)にあるし、また行成七世の孫である行能の説話も
後者に出てて、頭注欄には行成五世の孫の伊行を「・・・書道の名家世尊寺家の始祖。」と(@_@;)

さて、さて、さ~て! このような本書の叙述の流れから、兼明親王の書を行成が「自ら臨書したもの
を子息に与えている」の「子息」は、てっきり行経のことかと(@_@;) ところが、倉本一宏(全現代
語訳)『藤原行成「権記」(下)』(講談社学術文庫,2012)384頁の寛弘8年(1011年)11月20日条を
確認したら、次の通り(ノ ̄皿 ̄)ノナンヤネン!┫:・’.::

     二十日、己丑。 行成息良経に『和名類聚抄』等を賜与/一条院還御・三条天皇即位式・
             故冷泉院葬送の際の禁忌

    (藤原)良経が来て、『和名類聚抄』四帖、『口遊[くちずさみ]』一巻、私自ら修した
    故兼明皇子の書一巻を請うてきた。皆、これを与えた。・・・

[追記210416]

倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(上)』(講談社学術文庫,2011)400~401頁の長保2年
(1000年)8月10日条に次の件_φ( ̄^ ̄ )メモメモ

     十日、甲寅。 任僧綱について勅あり/勧学院領庄司の補任について道長に報告/
            兼明親王の書法を借用/瓜を道長に献上

    ・・・源少納言〈伊頼。〉が、施無畏寺[せむいじ](兼明親王)の書法十六帙を
    持って来た。先日、借りたものである。一見して返すということを伝えた。/・・・

タグ:歴史 伝記 書道
コメント(4) 
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コメント 4

tai-yama

「寝落ち」するぐらいつまらない本かと思ったら意外な展開(笑)。
世尊寺流の人が今の時代のフォント(字)を見たらどのような反応を
するか見てみたいなと思ったり。
by tai-yama (2021-04-08 23:15) 

ナベちはる

寝落ちは自分に原因があるとはいえ、電気代だけでなく寝不足のオマケが付くのは勘弁してほしいですよね(^^;
by ナベちはる (2021-04-09 01:02) 

middrinn

徽宗皇帝の痩金体なんかフォントになってますよ(^o^)丿
tai-yama様、むしろ女子高生の丸文字を見せたい(^_^;)
by middrinn (2021-04-09 05:08) 

middrinn

寝落ちした時、ぐっすり熟睡した感が、
ナベちはる様、ないですものね(^_^;)
by middrinn (2021-04-09 05:10) 

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