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210328読んだ本

読書の厄介なところは、背筋ピン子さんのようにはなれないことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
彼女のような姿勢なら長時間の読書でも腰が痛くなるようなことはなさそうに思えるのだが(@_@;)

【読んだ本】

黒板伸夫(日本歴史学会編集)『藤原行成』(吉川弘文館人物叢書,1994新装版)

本書68頁からの引用だが、「厄介なこと」よりも、「何のための会合であったか」の方が気になって
しまう(^_^;) 本書を読み進めると、黒板伸夫による「推測」が名推理のように思えてきたよ(^o^)丿

    ・・・/さて長徳三年[997年]もおしつまった十二月十日、厄介なことが持ち上る。
    [藤原]行成は外記政[げきのまつりごと]の後、東宮に、ついで[藤原]公任と同車
    [藤原]道長邸に赴いた。彼は当直日であったが所用の旨を右中弁藤原説孝に告げて
    外出したのであった。道長邸には藤原懐忠、菅原輔正、藤原斉信、源俊賢の諸卿が
    集っていた。『権記』には何のための会合であったかは記していないが、その推測は
    後に述べたい。/・・・

「厄介なこと」とは、東三条院で僧が前夜に頓死してたことが判明し、知らずに同院を訪問していた
藤原道長が蝕穢の身、更には道長邸も蝕穢の場所となったために、藤原行成を含む集っていた諸卿が
みな蝕穢の身となってしまったことだったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 「神事への関与が禁制される」(同69頁)
ので、事の次第を人伝に奏上された一条天皇は、「正月をひかえ公事も多い折柄」(同69頁)、その
感染拡大を防ぐため、参上するのは翌11日の月次祭[つきなみのまつり]・神今食[じんごんじき]
の神事以降にせよと道長へ伝えるようにと命じた結果、11日の神事は参議の藤原忠輔一人だけが運営
にあたるという異例の事態となった由((;゚Д゚)ヒィィィ! では、同69~70頁の「推測」を引く(⌒~⌒)

    ・・・/ところでその翌十二日の夕、行成は道長邸の作文(詩会)によばれ出席
    している。題は「池水鏡に対する如し」、序は慶滋為政であった(『権記』)。/
    道長は作文を好んで屢[←原文(ネット上にはある)とは字体が異なる]々催し、
    [藤原]実資などは時に批難の目を向けているが、あるいは十日の諸卿や行成等の
    会合は、顔ぶれからみて作文のためではなかったかと推測される。それが思わぬ
    椿事出来[しゅったい]で流会となり、その代りが十二日の作文だったように思う。
    もしそうとすれば十日の会合の趣旨を行成が記していないのは、道長の命とはいえ、
    当直日にかかわらず参会した行成のうしろめたさが感じられぬでもない。/・・・

閣僚たちが趣味の集まりで感染し、一人は公務をサボって参加とは文春砲の出番・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

菅原輔正は学者上がりのようだから詩文は得意そうだし、実際、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長
「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)の寛弘元年(1004年)9月9日条に、内裏作文会に
「参加」して「詩題[菊は、九日の花とする]を献上した」とあるのは見付けた____φ( ̄^ ̄ )メモメモ
タグ:伝記 歴史
コメント(6) 
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コメント 6

tai-yama

蝕穢の濃厚接触と(笑)。
今の時代ならPCR検査で全部判明。但し、変異種に注意っ!
by tai-yama (2021-03-28 22:58) 

ナベちはる

背筋を伸ばしたままの読書、なかなか難しいのではと思います…(+o+)
by ナベちはる (2021-03-29 01:06) 

middrinn

接触しただけで隔離してしまうので、
tai-yama様、当時の方が徹底(^o^)丿
by middrinn (2021-03-29 06:05) 

middrinn

寝転んで読んだりしますし、やっぱり、
ナベちはる様、難しいですね(^_^;)
by middrinn (2021-03-29 06:06) 

そら

ん?ん?疫病?
この時代は怖かったでしょうね!
by そら (2021-03-29 06:43) 

middrinn

疫病も大変でしたが、当時は人間や動物の死体
とかには穢れがあるとされてたのですよ(^_^;)
by middrinn (2021-03-29 06:46) 

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