210216読んだ本
読書の厄介なところは、その一致は偶然?必然?と悩んでしまうことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ややもすると、深読みとかしがちだから、色々と考え込むことになってしまうんだよねC= (-。- ) フゥー
【読んだ本】
橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)
一条天皇の皇后定子の同母妹の奇行を本書257~258頁の現代語訳で引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/三番目の姫君は、冷泉院の第四皇子で、帥宮(敦道親王)と申しあげたお方を、
父君(道隆)が婿君としてお迎え申されましたが、その後、すっかりご夫婦仲が絶えて
しまいましたので、晩年には、一条の辺りにたいそう落ちぶれて住んでいらっしゃる
という噂がおありでしたよ。話の真偽はわかりませんが、お気立てなどがまことに
落ち着きのない方でいらっしゃいましたので、一つには、そのために帥宮もお嫌い
申されたとかいうことです。客などが宮のもとに参上した折、御簾をたいそう高々と
押し上げて、御胸をあらわに広げて立っていらっしゃったので、宮は赤面しておいで
でした。お仕えしている女房も、顔色の変るような心地がして、つっ伏したまま、座を
立つのも具合が悪く、どうしようもありませんでした。宮は、後日、「振り向いた途端、
もう動くことができず、恥ずかしくて何がなんだかわかりませんでした」と仰せられた
のでした。/また、帥宮が大学寮の学生[がくしょう]たちを呼び集め、詩作の会を
開いてお遊びになられた時、この姫君が、砂金を二、三十両ほど、屛風の上から投げ出し、
人々にぶつけられましたので、学生たちは、この場に不似合いで不快な仕打ちと思われ
ましたが、その座では、調子を合せご機嫌をおとり申して、競争で拾い取りました。
その学生たちは、「砂金を下さったのはよいが、実に醜悪でしたよ」と、今でもよく
申されるそうです。人々が漢詩を作って、披露したりする場合、この姫君が、その優劣を
たいそう声高らかに批評なさることもありました。二位の新発意[しぼち]([高階]
成忠)のお血筋で、このご一族は、男の方はもちろんのこと、女の方も皆、学才がおあり
だったのです。/その姫君たちの御母君(貴子)は、あの有名な高内侍ですよ。・・・
本書258頁の頭注20に「御簾はもちろん下げたままにし、屛風・几帳などのかげに姿を隠すのが女性の
たしなみ。」、頭注21に「立つ姿さえ無作法とされたのに、わざと胸乳を出して見せた。」、頭注6に
「優劣を、声高に判定する。これも女性としてたしなみのない行為。」などと解説されている(^_^;)
おそらくは帥宮(敦道親王)を婿に迎える前と思しき頃の彼女の姿を、定子に仕えていた清少納言は
目撃したことがあって、『枕草子』で言及し、その体格が「大柄」に見えた云々と描写しているが、
萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 下』(新潮社,1977→2012:14刷)の頭注を引く(@_@;)
・・・関白[道隆]生前に帥宮敦道親王を婿とされたが、性格が男まさりで、女らしい
優雅さに欠けていて、その結婚生活は直ちに破綻したことが知られる(『栄花物語』
『大鏡』)。
萩谷朴『枕草子解環 五』(同朋舎出版,1983)の語釈においても同旨で、次の如く評してる(@_@;)
・・・父関白[道隆]の生前に、帥宮敦道親王を婿としたが、性格が男まさりで、
女らしい優雅さに欠けており、やがて結婚生活が破綻して、親王は、和泉式部に
心を移すことになる。[『枕草子』]第二十二段に、
家のうちなる男君の、来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の、
宮仕へするがりやりて、「恥づかし」と思ひゐたるも、いとあいなし。
とある女性の典型的な実例である。
石田穣二(訳注)『新版 枕草子 下巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1980)の補注でも(@_@;)
『大鏡』道隆伝に「三の御方は、冷泉院の四のみこ帥宮(敦道)と申ししをこそは、
父殿、婿取りたてまつらせたまへりしも、後にはやがて御仲絶えにしかば、末の世は、
一条わたりに、いとあやしくておはするとぞ、きこえたまひし」とある。少々変わった
ところがあったようで、以下にその奇行の二、三を伝えている。・・・
これに対して、『和泉式部日記』の注釈書では帥宮敦道親王との関連において彼女に言及していて、
近藤みゆき(訳注)『和泉式部日記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫,2003)巻末の「解説」は、
・・・最初の妻関白道隆の三女は精神を病んでいたため離縁に至り(補注16参照)、・・・
と彼女のことを評しており、同書の補注16においても、彼女のことを次のように記している(@_@;)
・・・敦道の最初の妻は関白藤原道隆の三女で中宮定子・東宮妃原子の妹にあたる
女性であったが、容貌も姉たちより劣っていたとされる。奇矯な行動をとることが
多く精神に問題があったことなどから、離縁に至った。・・・
小松登美(全訳注)『和泉式部日記(上)』(講談社学術文庫,1980)も次のように記してる(@_@;)
・・・/[帥宮敦道親王の二人の妻の]最初の方──関白藤原道隆の三女──は、
清少納言がお仕えした定子皇后の妹君である。しかし容姿も性格も姉皇后には
及ばない方だったらしく、これに加えて精神的にも異常な面があり、帥宮と
この方との結婚にはもともと政略結婚的な意味あいもあったらしく、父の死後
離縁となった(森田兼吉「敦道親王の結婚」『中古文学』十一号、昭和四十八年、
小松登美「藤原道隆三の君と敦道親王」『平安文学研究』六十輯、昭和五十三年。
・・・)。・・・
『枕草子』の男の注釈者は、男勝りで女らしさに欠ける、少々変わったところが、とするのに対し、
『和泉式部日記』の女の注釈者は、精神が病んでいた、と口を揃える(@_@;) ただ、後者に関しては
森田論文か小松論文(ともに小生未読)の見解を踏襲しただけなのかも〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
ややもすると、深読みとかしがちだから、色々と考え込むことになってしまうんだよねC= (-。- ) フゥー
【読んだ本】
橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)
一条天皇の皇后定子の同母妹の奇行を本書257~258頁の現代語訳で引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
・・・/三番目の姫君は、冷泉院の第四皇子で、帥宮(敦道親王)と申しあげたお方を、
父君(道隆)が婿君としてお迎え申されましたが、その後、すっかりご夫婦仲が絶えて
しまいましたので、晩年には、一条の辺りにたいそう落ちぶれて住んでいらっしゃる
という噂がおありでしたよ。話の真偽はわかりませんが、お気立てなどがまことに
落ち着きのない方でいらっしゃいましたので、一つには、そのために帥宮もお嫌い
申されたとかいうことです。客などが宮のもとに参上した折、御簾をたいそう高々と
押し上げて、御胸をあらわに広げて立っていらっしゃったので、宮は赤面しておいで
でした。お仕えしている女房も、顔色の変るような心地がして、つっ伏したまま、座を
立つのも具合が悪く、どうしようもありませんでした。宮は、後日、「振り向いた途端、
もう動くことができず、恥ずかしくて何がなんだかわかりませんでした」と仰せられた
のでした。/また、帥宮が大学寮の学生[がくしょう]たちを呼び集め、詩作の会を
開いてお遊びになられた時、この姫君が、砂金を二、三十両ほど、屛風の上から投げ出し、
人々にぶつけられましたので、学生たちは、この場に不似合いで不快な仕打ちと思われ
ましたが、その座では、調子を合せご機嫌をおとり申して、競争で拾い取りました。
その学生たちは、「砂金を下さったのはよいが、実に醜悪でしたよ」と、今でもよく
申されるそうです。人々が漢詩を作って、披露したりする場合、この姫君が、その優劣を
たいそう声高らかに批評なさることもありました。二位の新発意[しぼち]([高階]
成忠)のお血筋で、このご一族は、男の方はもちろんのこと、女の方も皆、学才がおあり
だったのです。/その姫君たちの御母君(貴子)は、あの有名な高内侍ですよ。・・・
本書258頁の頭注20に「御簾はもちろん下げたままにし、屛風・几帳などのかげに姿を隠すのが女性の
たしなみ。」、頭注21に「立つ姿さえ無作法とされたのに、わざと胸乳を出して見せた。」、頭注6に
「優劣を、声高に判定する。これも女性としてたしなみのない行為。」などと解説されている(^_^;)
おそらくは帥宮(敦道親王)を婿に迎える前と思しき頃の彼女の姿を、定子に仕えていた清少納言は
目撃したことがあって、『枕草子』で言及し、その体格が「大柄」に見えた云々と描写しているが、
萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 下』(新潮社,1977→2012:14刷)の頭注を引く(@_@;)
・・・関白[道隆]生前に帥宮敦道親王を婿とされたが、性格が男まさりで、女らしい
優雅さに欠けていて、その結婚生活は直ちに破綻したことが知られる(『栄花物語』
『大鏡』)。
萩谷朴『枕草子解環 五』(同朋舎出版,1983)の語釈においても同旨で、次の如く評してる(@_@;)
・・・父関白[道隆]の生前に、帥宮敦道親王を婿としたが、性格が男まさりで、
女らしい優雅さに欠けており、やがて結婚生活が破綻して、親王は、和泉式部に
心を移すことになる。[『枕草子』]第二十二段に、
家のうちなる男君の、来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の、
宮仕へするがりやりて、「恥づかし」と思ひゐたるも、いとあいなし。
とある女性の典型的な実例である。
石田穣二(訳注)『新版 枕草子 下巻 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1980)の補注でも(@_@;)
『大鏡』道隆伝に「三の御方は、冷泉院の四のみこ帥宮(敦道)と申ししをこそは、
父殿、婿取りたてまつらせたまへりしも、後にはやがて御仲絶えにしかば、末の世は、
一条わたりに、いとあやしくておはするとぞ、きこえたまひし」とある。少々変わった
ところがあったようで、以下にその奇行の二、三を伝えている。・・・
これに対して、『和泉式部日記』の注釈書では帥宮敦道親王との関連において彼女に言及していて、
近藤みゆき(訳注)『和泉式部日記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫,2003)巻末の「解説」は、
・・・最初の妻関白道隆の三女は精神を病んでいたため離縁に至り(補注16参照)、・・・
と彼女のことを評しており、同書の補注16においても、彼女のことを次のように記している(@_@;)
・・・敦道の最初の妻は関白藤原道隆の三女で中宮定子・東宮妃原子の妹にあたる
女性であったが、容貌も姉たちより劣っていたとされる。奇矯な行動をとることが
多く精神に問題があったことなどから、離縁に至った。・・・
小松登美(全訳注)『和泉式部日記(上)』(講談社学術文庫,1980)も次のように記してる(@_@;)
・・・/[帥宮敦道親王の二人の妻の]最初の方──関白藤原道隆の三女──は、
清少納言がお仕えした定子皇后の妹君である。しかし容姿も性格も姉皇后には
及ばない方だったらしく、これに加えて精神的にも異常な面があり、帥宮と
この方との結婚にはもともと政略結婚的な意味あいもあったらしく、父の死後
離縁となった(森田兼吉「敦道親王の結婚」『中古文学』十一号、昭和四十八年、
小松登美「藤原道隆三の君と敦道親王」『平安文学研究』六十輯、昭和五十三年。
・・・)。・・・
『枕草子』の男の注釈者は、男勝りで女らしさに欠ける、少々変わったところが、とするのに対し、
『和泉式部日記』の女の注釈者は、精神が病んでいた、と口を揃える(@_@;) ただ、後者に関しては
森田論文か小松論文(ともに小生未読)の見解を踏襲しただけなのかも〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
私なら、トップレスだろうが、砂金を投げつけられようが、
はぁはぁしてしまう可能性があったり(笑)。家来になりたいっ!
by tai-yama (2021-02-16 23:36)
偶然か必然か、はたまた伏線か…一度考えるとずっと気になりますよね(◎_◎;)
by ナベちはる (2021-02-17 00:47)
胸元をあらわに!
私なら凝視しちゃいますけどね(^^;
by そら (2021-02-17 06:42)
家来になりたいじゃなくて話の展開的にも
tai-yama様なら結婚したいでしょ(^_^;)
by middrinn (2021-02-17 06:55)
たしかに、伏線なのかどうなのかは、
ナベちはる様、よく悩みます(^_^;)
by middrinn (2021-02-17 07:11)
この敦道親王、愛人の和泉式部と公然と乳繰り合ってるので、
そら様、お前も凝視しそう、よくゆーよ!って感じ(^_^;)
by middrinn (2021-02-17 07:14)
CLUB panasonicコイン獲得上限の30万コインまで
貯めてる人いるのね。コインマイページにお知らせが。
by nikki (2021-02-17 19:25)
そのお知らせは見付けられなかったのですが、「コイン有効期限は
コインご利用から12ヶ月となります。」とあるので、一年以内に
それだけ貯められるなんて凄いですね(゚ロ゚;) 明日はCM視聴(^o^)丿
by middrinn (2021-02-17 19:36)
コインの有効期限は、取得するか使用した1年後なので、1年以内に取得していれば期限なし。
by nikki (2021-02-17 19:56)
ナルホド!( ̄◇ ̄;) となると、貯めることも可能ですけど、
使うのを我慢して30万コイン貯めるのは小生は無理(^_^;)
by middrinn (2021-02-17 20:05)