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210214読んだ本

読書の厄介なところは、空想にふけって頭の中がお花畑になることである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

萩谷朴『清少納言全歌集 解釈と評論』(笠間叢書,1986)所蔵本

    ・・・/元来、清少納言は今は亡き皇后定子に仕えた女房であり、和泉式部は中宮彰子
    (上東門院)に仕える身として、互いに対抗すべき立場にあった閨秀作家ではあるが、
    直情奔放の情熱歌人和泉式部と、天衣無縫の感覚作家清少納言との間には、心情的に
    頗る通じ合うところがあったらしく、少なからぬ贈答歌を残しているところに、意外な
    親交の事実を見るのであるが、それらを多く記録に残した和泉式部と、唯の一首も
    家集に留めることをしなかった清少納言との間に、和歌に対する執心と淡白との差を
    見るのである。/和泉式部は、清少納言に対するのと違って、同じく上東門院に仕える身
    でありながら、近親憎悪という説明も可能ではあろうが、陰湿で教条主義的な紫式部とは
    全く肌が合わなかったと見えて、一回の和歌の贈答をすら残していない。成程、和泉式部
    と清少納言とは、共に、『紫式部日記』消息体評論の部に紫式部から酷評された間柄では
    あるが、紫式部が口を極めて褒めそやした赤染衛門すらが、その家集には、紫式部との
    贈答歌を残していないのである。紫式部と長く交際のあったのは、寛弘四年四月、興福寺の
    八重桜献上に際して、その取入れの歌[←「役」の誤記かと]を譲って、「古への奈良の
    都の八重桜」の一首に名を成さしめて以来、妹分のように頤使していた伊勢大輔一人である
    (『伊勢大輔集』)。・・・/

紫式部を「いじわるな女性」と井上宗雄が発言したら、先輩である『源氏物語』研究者が「たいへん
お怒りにな」った、というのに(同『百人一首 王朝和歌から中世和歌へ』[笠間書院,2004])、
「陰湿で教条主義的な紫式部」と断ずるなんて、萩谷朴は真の勇者かとヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪

そんな紫式部からも伊勢大輔タンは「気に入られるような、つつましく素直で、人なつこい人だった
のだろう。」と森本元子『私家集の女流たち─現し身の恋─ 古典選書10』(教育出版センター,1985)
が評しているように、紫式部、和泉式部、赤染衛門らとの贈答歌も家集『伊勢大輔集』にはある(^^)v

なのに、前から不思議に思っていたのだが、伊勢大輔タンと清少納言との贈答歌が見当らぬ(@_@;)

清少納言ら中宮定子に仕える女房たちがホトトギスの声を探しに出掛けた際に立ち寄った家の主人・
高階明順について、萩谷朴『枕草子解環 二』(同朋舎出版,1982)の語釈から引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・高内侍貴子の兄、中宮定子の伯父。伊勢大輔の夫成順の父。・・・

更に、長徳2年(996年)には伊周・隆家兄弟の従者が花山院を射る事件等があり、「・・・六月八日、
二条北宮焼亡。同月九日中宮[は]高階明順の小二条宅に移御・・・」と萩谷朴『枕草子解環 三』
(同朋舎出版,1982)の第136段の語釈に(⌒~⌒) 萩谷朴(校注)『新潮日本古典集成 枕草子 上』
(新潮社,1977→2004:15刷)の同段の頭注には「翌三年[=997年]六月二十二日職曹司遷御まで、
[高階明順の小二条宅での定子の]謹慎状態は続いた。」とあるし、清少納言は「恐らく六月八日の
二条北宮焼亡以後、六・七・閏七・八・九月と、足かけ五か月も里居したことと思われる。」(前掲
・解環三の同段語釈だが、前掲・集成は「・・・八月と、足かけ四カ月も里居していたらしい。」)
とはいえ、9~10ヶ月間は「高階明順の小二条宅」で定子に仕えていたことになるわなv( ̄∇ ̄)ニヤッ

一方、この高階明順の子の高階成順と伊勢大輔タンは結婚するのだが、後藤祥子「伊勢大輔伝記考」
(山中裕編『平安時代の歴史と文学 文学編』[吉川弘文館,1981]所収)は「・・・成順と伊勢大輔
との結婚には、花やかな後宮女房と摂関家の家司官僚という結び付き以前に、家と家、親同士の親昵
が想像される。」として、伊勢大輔タンの父の大中臣輔親と高階明順の代から親しかったと(⌒~⌒)

斯くて高階家という接点があるので、伊勢大輔タンと清少納言の贈答歌もありそうなのにね(@_@;)

ちなみに、高階明順に対する萩谷朴の前掲・集成の頭注の人物評(前掲・解環二の語釈も同旨)が、
なかなか興味深いので引いておく(⌒~⌒)

    ・・・長徳二年四月二十四日に、伊周・隆家の貶謫に際して、兄弟の信順・道順が
    連坐しても、明順には何の咎めはなかったし、常に道長と親交があるなど、中宮の
    側近にありながら渦中に陥ることのない超然たる立場を維持し、何か老荘的な風格
    をさえ感じさせる人物であったらしい。

・中宮彰子が最終兵器の伊勢大輔タンに「アレを取れ!」と出撃命令キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-10

・彰子からの出撃命令を受け、伊勢大輔タン、こっそり女院に侵入した女房たちを見事撃墜v( ̄∇ ̄)ニヤッ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-04-12

・伊勢大輔タンの父である大中臣輔親も道長に促され即興で秀歌を詠んだという血は争えない話(⌒~⌒)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-03

・優れた歌人輩出の大中臣家の末なので伊勢大輔タンの孫娘に御指名キタ━━━━(゚д゚;)━━━━!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-26

・伊勢大輔タン「いにしへの」の解釈で苑子タンを始め馬鹿が多すぎるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-16

・エガちゃんじゃないが、伊勢大輔タンは確実に伝説を創り、生ける伝説だったという話ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-05-19

・少なくとも70代前半にはなっていたはずも老いてなお歌を召されるほど活躍していた伊勢大輔タン(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-07

・伊勢大輔タンの容貌を褒めつつ、その欠点を論うことも決して忘れない紫式部の性格の悪いこと(^_^;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-07-16

・そんな紫式部にも「気に入られるような、つつましく素直で、人なつこい人だった」伊勢大輔タン(^^)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-06-13

・降り積もった雪が若菜を摘んでるのかしら、だなんて、伊勢大輔タン、発想が可愛いよん(〃'∇'〃)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-02

・末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2019)42巻は伊勢大輔タンの歌が解ってないぞヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08

・「後の和歌史」と異なり、室町中期に伊勢大輔タンの歌に興味を持った人がいたわけだv( ̄∇ ̄)ニヤッ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2021-01-22
タグ:歴史 和歌
コメント(10) 
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コメント 10

tai-yama

紫式部は一匹狼だったのかも。話かけたら、何にでもかみつく
感じだったり(笑)。
by tai-yama (2021-02-14 23:10) 

ナベちはる

空想にふけって…嫌なことがあったときには良さそうです。
by ナベちはる (2021-02-15 01:05) 

middrinn

「紫式部が口を極めて褒めそやした赤染衛門」とありますけど、
tai-yama様、訳によっては批判的口吻もありますしね(^_^;)
by middrinn (2021-02-15 06:04) 

middrinn

たしかに、嫌なことがあった時は、
ナベちはる様、現実逃避に(^_^;)
by middrinn (2021-02-15 06:05) 

ニッキー

空想は楽しいですよねぇ( ^ω^ )
ニャンズに甘えられてる空想をしますが
時々空想がいきすぎて妄想に(⌒-⌒; )
by ニッキー (2021-02-15 06:30) 

middrinn

鬼コーチに手懐けられているから現実は厳しいオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
by middrinn (2021-02-15 06:36) 

そら

何時の世にもこう言う方はいらしゃる(^^;
by そら (2021-02-15 06:42) 

middrinn

昔も今も変わりませんね(^_^;)
by middrinn (2021-02-15 07:05) 

yokomi

いろいろな手懸かりから史実を解明(^_^)v うーん、平安時代は推理小説みたい(^_^;) 
by yokomi (2021-02-16 09:29) 

middrinn

清少納言の同母兄弟の清原致信は和泉式部の後年の夫の藤原保昌の郎等でしたし
(致信は源頼親の家来に殺されたのですが、その致信宅に清少納言も同宿してた
という説話も)、その致信は大宰府で藤原宣孝(紫式部の夫)が上司だったとか、
当時の人間関係はメチャ狭いので、色々と「空想」は可能なんですよね(^_^;)
by middrinn (2021-02-16 09:49) 

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