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210210読んだ本【バカチン】&おまけ【バカチン】

読書の厄介なところは、面白かった本を吹聴したくなってしまうことである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン)】

橘健二&加藤静子(校注・訳)『新編日本古典文学全集34 大鏡』(小学館,1996)

「円融院の子の日の御遊と曾禰好忠」という見出しの節の現代語訳を本書416~417頁から引く(^o^)丿

    ・・・/例の侍が質問して、/『あの円融院が紫野に子の日の御遊びをなさった
    その日、曾禰好忠の一件とはどんなふうだったのですか』/と言いますと、/
    重木『そのことそのこと、あれは、実におもしろいことでした。あれほどの
    晴れの御催しに、身分の上下を問わずに、和歌を賞美なさろうという時ですから、
    なるほど、その席に加わりたいことではございますが、その席に加わりたいこと
    ではございますが、その選に漏れたからには、仮に物陰にいて、優れた和歌を
    詠み出したとしても、まったく無礼なことでございましょう。それを好忠は、
    なんとお召しの歌人の座に強引に着座してしまったのですから、まったくあきれ
    はてたことでございましたよ。その時、小野宮殿(実資)、閑院の大将(朝光)
    などでしたよ、「引き立てい、引き立てい」とご命令なさったのは。ですから、
    [醍醐天皇の御代に凡河内]躬恒が特別のご褒美をいただいたのに対して、この
    好忠は、比べようもない歌詠みですよ。歌がどんなにすばらしくとも、その時と
    場合を考えて詠むべきです。好忠は、悪くもない歌詠みですけれども、こういう
    ところは、ひどく見劣りがしたことでしたなあ』/と言います。/・・・

優れた歌人である曾禰好忠が召されてもないのに参加しようとしたため追い出されたという説話で、
何度も指摘してきたように繁田信一『殴り合う貴族たち』の如き『小右記』読みの『小右記』知らず
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-15 )もいるけど、本書の頭注五は
流石に次のように記している(416頁)v( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・『今昔物語集』によれば、大中臣能宣ら五人の歌人が前もって仰せを受け、
    召されていた。『小右記』には好忠もその一人とある。

藤原実資の日記『小右記』に載る証言によれば、曾禰好忠も実は召された歌人の一人だったわけ(^^)

石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)も『小右記』に出てる証言を見落として
なかったが、同書344頁の頭注六に目が留まったので引く(@_@;)

    ・・・[好忠は]歌の技倆はみとめられながら、身分が低い事と言動の奇矯な事から、
    貴族サロンからは爪はじきされた。むしろ死後にみとめられた。・・・源順と親交が
    あったらしいが、ここの事件は順の死(永観元年[983年])後だから[寛和元年985年]、
    恐らく孤立無援だったのであろう。『小右記』によると、この日招待された歌人の中に
    入っていたにも拘らず、好忠を忌み嫌う公卿によって追い立てられたらしい。
    見すぼらしいなりをしていたのであろう。『古事談』巻一にも収載。

『蜻蛉日記』の天禄3年(972年)の記述に引かれているなど曾禰好忠の歌は生前から評価されていた
ようだし、また曾禰好忠が「貴族サロンからは爪はじき」「孤立無援」だったとする見解に対しては
藤岡忠美『平安和歌史論 三代集時代の基調』(桜楓社,1966)が次のように「異説」を紹介(@_@;)

    ・・・しかし残念なことに、好忠は平安貴族の一員になり得なかった。というよりも、
    彼の希望に反して、貴族たちからは疎外されがちであった。彼が「曾丹後」「曾丹」
    と略称され、今度はいつ「そた」とよばれるだろうと嘆いたという袋草子の伝説や、
    例の紫野御子日につまみ出されたという有名な今昔の説話は、そのエピソードとして
    の真偽はともかく、疎外されがちであった好忠の姿を象徴的に物語っているもので
    あるといえる。/もっとも、好忠の生活に関しては異説もある。これについては
    別個の主題において詳細に論じられなければならないが、彼が貞元二年(九七八)
    八月十六日三条左大臣家歌合に和歌を召され、あるいは天元四年(九八一)四月二十六日
    故小野宮右衛門督斎敏君達歌合等に出席している事実から、今昔物語等に記されている
    伝説は大きな誇張をふくむものであって、好忠は貴族たちからはなはだしく疎外された
    拗ね者的存在ではなかった、という説である。わたくしもこの説には基本的に賛成
    なのであるが、・・・

曾禰好忠が「歌合等」に召されて参加していた事実を根拠に、実は「貴族たちからはなはだしく疎外
された拗ね者的存在ではなかった」とする「異説」に、藤岡忠美は「基本的に賛成」という(@_@;)

この「異説」を唱えたのは池田亀鑑の論文らしいけど(小生未読)、池田亀鑑から長年指導を受けた
萩谷朴は、同『歴史366日─今日はどんな日』(新潮選書,1989)で、この一件を藤原実資の視点から
「平安月報 二月号─円融院の子の日の御遊びに、曾禰の好忠袋叩きに遭う事─」という面白い一篇に
仕立て上げており、その中に次の一節がある(@_@;)

    ・・・/そこもともご存じの通り、そもそもこの好忠という男、和歌の道には些か
    自信過剰というよりも、古今調であれ、万葉調であれ、伝統というものには一切
    お構いなしの、自由自儘な詠み口が、形式を重んじる当時一般の歌人たちからは
    嫌われたものであろう。実は、父の関白頼忠の殿が、それより八年前、貞元二年
    [978年]の仲秋八月十六日に、三条殿で前栽[せざい]の歌合を催された時にも、
    能宣・兼盛・元輔・重之・時文・順から英材・正通・為頼・輔昭・保胤・光舒に
    到るまで、上下の歌人悉くが、好忠と席を同じうしては、お召しに従いかねます
    と苦情を申し立てたので、当日歌合の場から好忠を外しはしたものの、そこは
    気の優しい父の殿のことじゃ。後日改めて好忠一人を召し出して歌会の席を設け、
    「秋ノ夜ノ心」という題を、殿自らが好忠に賜わって詠歌を所望なされた上、
    左大弁菅原輔正・讃岐権守藤原高遠らが、父の殿のご意向を受けて、好忠に和して
    詠歌するという、特別の扱いをなされたものじゃから、好忠もすっかり感激して、
    入魂の序文を添えて奉ったということじゃ。根が単純な男、周りの者がヒネクレ
    させておるだけじゃと、父の殿も仰せであったが、この特別扱いが、円融院の
    子の日の場合、却って贔屓の引き倒しになったのかも知れぬて。/・・・

斉敏の子で祖父実頼の猶子となった実資が頼忠のことを「父の殿」と呼ぶ理由は小生には解らぬが、
歌合の研究に関して萩谷朴の右に出る者はいないことは素人目にもわかる〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

なお、本書付録の「人物一覧」、第六刷なのにまたミス発見(+_+) 本書560頁の「頼忠」の項(-ω-、)

    /九二四~九八九。実頼二男。母は時平女。延長二年生。侍従・右中将などを経て、
    四十歳で参議になり、甥の伊尹と拮抗して昇進、伊尹没後に氏長者となったが、
    まもなく関白兼通に奪われた。しかし、兼通は薨去にあたってその職を頼忠に
    譲ったので摂関家の第一人者になったが、これは兼通・兼家の軋轢で漁夫の利を
    得たものだったので、花山天皇即位とともにその位置を兼家に代られた。その女
    遵子・諟子を円融・花山天皇に入れたが、皇子の出生はなかった。永祚元年薨、
    六十六歳。三条の大臣と称され、諡は廉義公を賜った。/

第一に、伊尹は実頼の弟の師輔の子だから「甥」ではなく従兄弟だし、第二に、「花山天皇即位」は
「花山天皇退位」あるいは「一条天皇即位」の明らかな誤りだわな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【おまけ(バカチン)】

昨日Yahoo!で週刊ベースボールONLINEの「オリックスの水本勝己ヘッドには期待大。ミズの明るさで
現場を盛り上げてほしい!【川口和久のスクリューボール】」というコラムを読んで、絶句( ̄◇ ̄;)

    ・・・/[鳥取]城北[高校]出身の後輩と言えば、能見篤史だ。阪神を戦力外に
    なった後、死に場所を求め、今季からオリックスで兼任コーチとしてリスタートした。
    阪神では若い選手にはじき出された形で先発からリリーフに回っていたが、
    オリックスは先発の頭数が足りていない。能見にも十分チャンスはあるし、
    やってくれると思っている。/・・・

「オリックスは先発の頭数が足りていない」だと∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!? 今日のサンスポの
「気合の丸刈り会見 オリックス平野佳 V貢献で恩返し」(西垣戸理大)にも次の通りv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/オリックスは、先発は山岡、山本、田嶋の3本柱はローテーション入りが確定で、
    高卒2年目の宮城、5年目の榊原、4年目の本田らが残りの枠を狙う。そこにベテランの
    増井、先発再転向のディクソンが加わる形となり、先発陣の層は厚い。/・・・

オリの現状も知らないのにテキトーなこと書く川口和久は評論家失格ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
いつもオリの記事を拝読させて頂いてる西垣戸理大だが、昨季覚醒した山崎福のこと忘れてる(^_^;)
タグ:歴史 和歌 説話
コメント(10) 
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コメント 10

ニッキー

第6刷でもミスがあるってことは
誰かに指摘されないと見直しせずに
そのまま増刷するってことなんですかねぇ(ー ー;)
面白かった本はオススメしたくなりますよね♪( ´▽`)
by ニッキー (2021-02-10 21:36) 

tai-yama

能見さんと言うと、マートンのI don't like ノウミサンかな。
能見さんはさながら、曾禰好忠的な立場だったり(笑)。
ちなみに、先発ローテーション3枚(残り3枚が実績なく期待なので)
だけなので、決して層が厚いとも言えなかったり・・・・・・
by tai-yama (2021-02-10 23:27) 

ナベちはる

「オリックスは先発の頭数が足りていない」は、さすがに酷いですね(;`・_・´)
訂正してお詫び…はするのでしょうか。
by ナベちはる (2021-02-11 01:32) 

ネオ・アッキー

middrinnさんおはようございます。
面白かった本を吹聴したくなる気持ちにとどめておけば良いものを、本を貸して戻ってこなくなる・・・ ということも多々あります。
by ネオ・アッキー (2021-02-11 05:28) 

middrinn

この小学館という出版社は、『日本大百科全書』の刊行中に、
ニッキー様、第一刷のミスを指摘したら、すぐ次回配本時に
訂正シールも付けてたので、この新編日本古典文学全集では、
気付いて指摘する者が一人も無かったんでしょうね(^_^;)
by middrinn (2021-02-11 06:24) 

middrinn

( ^o^)ノ◇ 山田く~ん I don't like ノウミサン=曾禰好忠座布団1枚 ♪
tai-yama様、榊原は一昨季の(怪我するまで)ローテーションピッチャーで
「実績」あるんですよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!! ちなみに、宮城は昨季は
ルーキーなのに2軍でローテを守ってリーグ最多勝、終盤には一軍でも先発で
好投を続けて高卒ルーキー先発初勝利一番乗りですから充分「実績」あり(^^)
by middrinn (2021-02-11 06:31) 

middrinn

オリファンのほとんどは川口和久の文章に首を傾げたでしょうけど、
ナベちはる様、少数派の悲哀で、訂正とかされないでしょう(-ω-、)
by middrinn (2021-02-11 06:33) 

middrinn

たしかに、貸すと本は戻ってこない確率が高いので、
ネオ・アッキー様、買ってプレゼントですね(^_^;)
by middrinn (2021-02-11 06:35) 

そら

オリックス、イチローがいた頃はよくドームに観に行きました(^^)
by そら (2021-02-11 07:45) 

middrinn

イチローのファンですが、イチローがいた頃は応援してませんでした(^_^;)
by middrinn (2021-02-11 07:54) 

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