201119読んだ本
ある6文字を禁止WORDとしてスパムフィルタに設定し長文スパムコメ連続攻撃も押さえ込めたかな(@_@;)
【読んだ本】
滝沢弘康『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇』(ソフトバンク新書,2013)
読了(^o^)丿 滝沢弘康は歴史学の研究者ではないらしく学問的信頼度は低いし、本書の「おわりに」
に〈・・・著者は主に歴史関係の書籍・雑誌・電子媒体の編集・制作に従事している、一介の編集者
である。主宰する「かみゆ歴史編集部」は〝歴史コンテンツメーカー〟を謳い、戦国武将や城、幕末
維新、アート、神話・宗教といって歴史関係をテーマにした媒体を、(わりと節操なく、しかしプラ
イドを持って)日々つくっている。〉(279頁)とあってチト胡散臭く感じられるし(失礼m(__)m)、
文章も下手だが、上手く纏められている本書(^^) 本書の構成は「はじめに」から5~7頁を引く(^^)
・・・秀吉の膨大な家臣団について一人ひとりくまなく取り上げていたら、紙幅が
いくらあっても足りない。そこで本書では、秀吉家臣団の変遷を、秀吉の立場・状況に
合わせて7段階に区分して通観してみたい。/区分は以下のとおりとなる。
第1章【創業期】…秀吉出生~浅井攻め
第2章【建設期】…長浜城主時代
第3章【伸長期】…中国攻め~山崎の戦い
第4章【変革期】…清須会議~小牧・長久手の戦い
第5章【運用期】…関白就任~小田原攻め
第6章【分裂期】…豊臣秀長の死~秀吉逝去
終章 【崩壊期】…秀吉死後~関ヶ原の戦い
「創業期」「建設期」「伸長期」「変革期」「運用期」「分裂期」「崩壊期」は、
各時期における秀吉家臣団の状態をあらわしている。/最下層出身でひとりの家臣も
持たなかった秀吉は、信長に仕官すると、ゼロから手づくりで家臣団を「創業」する
必要があった(第1章)。やがて長浜城主になると、積極的に才能ある家臣をスカウト、
または育成して家臣団を拡大。のちの飛躍の基盤となる家臣団が「建設」される
(第2章)。やがて中国攻めを命じられた秀吉軍は、播磨攻めや三木城・鳥取城・
高松城の攻城戦を行う中で、家臣団の規模や能力が「伸長」していく。その陣頭に
立ったのが、軍師・黒田官兵衛であった(第3章)。/しかしここで、秀吉にとっても
家臣らにとっても大きな転機が起こった。本能寺の変である。その後、信長後継者レース
を競う中で、次々と旧信長家臣が秀吉傘下に加わり、秀吉家臣団は大幅な「変革」を
強いられた(第4章)。そして関白任官によって秀吉が天下人として君臨すると、
秀吉家臣団は政権を「運用」するための行政組織へと移行。吏僚派奉行が政権を
担う中で、秀吉幕下をリードした黒田官兵衛は隠退を表明し、石田三成が台頭する
ことになる(第5章)。/天下統一を成し遂げ、全国を支配するようになった
豊臣政権だが、その弱体化は早かった。豊臣秀長・千利休・豊臣秀次らの相次ぐ死や、
文禄・慶長の役などの闇が広がる中で、中央集権派と分権派、文治派と武断派、
大老・奉行と家康派といった多層的な派閥抗争が勃発し、政権は「分裂」していく
(第6章)。そうした渦中で、家臣団を統べていた秀吉が死去、残された三成には
秀吉家臣たちを操舵することはできず、関ヶ原の戦いへと向かう過程で、秀吉家臣団と
豊臣政権はあえなく「崩壊」を迎えるのであった(終章)。/・・・
創業期・建設期・伸長期を「信長家臣時代」、変革期を「信長後継者時代」、「運用期」「分裂期」
を「天下人時代」として、「・・・秀吉家臣団には3段階の大きなリフォーム(構造変化)があり、
その都度、構成員は膨張し、集団は機能的深化を遂げていく。」(8~9頁)とする(⌒~⌒)
/以上見てきたように、賤ヶ岳の戦いにおける秀吉軍の勝利の背景には、陣城や
防衛網の構築と、超スピードの大返しが大きな要因だった。情報の収集・分析能力、
全体のプランニング、用意周到な準備と遂行能力が勝敗を決したという点では、
賤ヶ岳の戦いは高松城などの攻城戦や中国大返しと同様の〝新しい合戦〟といえる。
そして、それらを準備し実行したのが、三成や大谷吉継・増田長盛ら、近江衆を
中心とした吏僚たちであり、中国戦線で鍛えられた彼らは、秀吉軍に不可欠な存在と
なっていたのだ。賤ヶ岳の戦いではどうやら帷幄の中心には官兵衛ではなく、三成が
いたようなのである。/後方活動や机上の仕事を受け持つ吏僚の役割として特に重要
だったのが、兵站の確保である。敵軍を圧倒するために、秀吉軍の動員兵力は合戦を
経るごとに加速度的に増大していく。・・・/兵数が増大するほど、兵站が難しくなる
のは言うまでもない。兵站を担った一貫して吏僚派奉行であ[る。]・・・/ただし
数万を超す兵站は、とても奉行数人が算盤をはじくだけで準備できるレベルではない。
兵糧・弾薬・馬などの管理、それらを計算する大量のスタッフ、正確な地図の製作と
通信手段の確保などが必要であるからだ。/・・・合戦の現場でも、吏僚の存在感が
増していったのだ。/・・・
このような147~148頁は論じる一方、そこに秀吉家臣団「分裂」の萌芽もあったことも忘れてないし
(149頁)、更に177~178頁では次のような指摘も(^^)
/豊臣政権発足当初は、十数人が奉行衆として庶政を分担していた。/興味深いのは、
彼らの多くが中国攻め以降、戦場において兵站や陣城構築、情報の収集・分析などに
従事したテクノクラートであったことだ。本書ではこれまで、秀吉の〝新しい合戦〟
にとって、計数の才に優れた吏僚が不可欠であったことを繰り返し述べてきた。
兵数の増大・合戦期間の長期化・戦術の複雑化などにともなって、舞台裏を支える
吏僚の働きも多岐にわたり、高度になっていく。/そして、合戦の舞台裏で必要と
された、計算・情報収集・事前準備・人材手配・交渉などについての能力は、
そのまま行政官としても必要な才能であった。合戦現場で培われたスキルや
経験、能力が、行政・財政の実務にも活かされたのである。・・・
「秀吉家臣団」という集団・組織として捉えて、役割・機能に着目するアプローチも興味深いけど、
やっぱり列伝風に家臣一人一人の事績や逸話とかを小生は知りたかったな(^_^;) 神子田正治は名前も
知らなかったけど、名前は知ってた加藤光泰や宮部継潤は、本書を読んでもっと知りたくなった(^^)
本書は「・・・継潤はドラマなどで登場することはまずないが、竹中半兵衛や蜂須賀正勝並みに名前
の知られていい武将である。/・・・」(79頁)と推してて、
・・・/また、山陰地方の要衝となる鳥取城代には、宮部継潤が入っている。
山陽道が高松城の堤防崩壊の後遺症で機能不全になっていることを考えると、
山陰道を守る鳥取城のほうが毛利進軍の矢面に立つ可能性が高かった。
宮部継潤は毛利との国境が確定するまで鳥取城の守将を命じられており、
秀吉からの信任の高さがうかがえる。/・・・
と122頁に(⌒~⌒) ちなみに、本書はほとんど取り上げてなかったけど、小生イチオシの中村一氏も
小牧・長久手の戦いの時には紀州の雑賀・根来衆に対する抑えとして岸和田城に、徳川家康が関東へ
移封されると駿河国の府中に据えられるなど、豊臣秀吉からメチャ信頼されてた家臣かとv( ̄∇ ̄)
【読んだ本】
滝沢弘康『秀吉家臣団の内幕 天下人をめぐる群像劇』(ソフトバンク新書,2013)
読了(^o^)丿 滝沢弘康は歴史学の研究者ではないらしく学問的信頼度は低いし、本書の「おわりに」
に〈・・・著者は主に歴史関係の書籍・雑誌・電子媒体の編集・制作に従事している、一介の編集者
である。主宰する「かみゆ歴史編集部」は〝歴史コンテンツメーカー〟を謳い、戦国武将や城、幕末
維新、アート、神話・宗教といって歴史関係をテーマにした媒体を、(わりと節操なく、しかしプラ
イドを持って)日々つくっている。〉(279頁)とあってチト胡散臭く感じられるし(失礼m(__)m)、
文章も下手だが、上手く纏められている本書(^^) 本書の構成は「はじめに」から5~7頁を引く(^^)
・・・秀吉の膨大な家臣団について一人ひとりくまなく取り上げていたら、紙幅が
いくらあっても足りない。そこで本書では、秀吉家臣団の変遷を、秀吉の立場・状況に
合わせて7段階に区分して通観してみたい。/区分は以下のとおりとなる。
第1章【創業期】…秀吉出生~浅井攻め
第2章【建設期】…長浜城主時代
第3章【伸長期】…中国攻め~山崎の戦い
第4章【変革期】…清須会議~小牧・長久手の戦い
第5章【運用期】…関白就任~小田原攻め
第6章【分裂期】…豊臣秀長の死~秀吉逝去
終章 【崩壊期】…秀吉死後~関ヶ原の戦い
「創業期」「建設期」「伸長期」「変革期」「運用期」「分裂期」「崩壊期」は、
各時期における秀吉家臣団の状態をあらわしている。/最下層出身でひとりの家臣も
持たなかった秀吉は、信長に仕官すると、ゼロから手づくりで家臣団を「創業」する
必要があった(第1章)。やがて長浜城主になると、積極的に才能ある家臣をスカウト、
または育成して家臣団を拡大。のちの飛躍の基盤となる家臣団が「建設」される
(第2章)。やがて中国攻めを命じられた秀吉軍は、播磨攻めや三木城・鳥取城・
高松城の攻城戦を行う中で、家臣団の規模や能力が「伸長」していく。その陣頭に
立ったのが、軍師・黒田官兵衛であった(第3章)。/しかしここで、秀吉にとっても
家臣らにとっても大きな転機が起こった。本能寺の変である。その後、信長後継者レース
を競う中で、次々と旧信長家臣が秀吉傘下に加わり、秀吉家臣団は大幅な「変革」を
強いられた(第4章)。そして関白任官によって秀吉が天下人として君臨すると、
秀吉家臣団は政権を「運用」するための行政組織へと移行。吏僚派奉行が政権を
担う中で、秀吉幕下をリードした黒田官兵衛は隠退を表明し、石田三成が台頭する
ことになる(第5章)。/天下統一を成し遂げ、全国を支配するようになった
豊臣政権だが、その弱体化は早かった。豊臣秀長・千利休・豊臣秀次らの相次ぐ死や、
文禄・慶長の役などの闇が広がる中で、中央集権派と分権派、文治派と武断派、
大老・奉行と家康派といった多層的な派閥抗争が勃発し、政権は「分裂」していく
(第6章)。そうした渦中で、家臣団を統べていた秀吉が死去、残された三成には
秀吉家臣たちを操舵することはできず、関ヶ原の戦いへと向かう過程で、秀吉家臣団と
豊臣政権はあえなく「崩壊」を迎えるのであった(終章)。/・・・
創業期・建設期・伸長期を「信長家臣時代」、変革期を「信長後継者時代」、「運用期」「分裂期」
を「天下人時代」として、「・・・秀吉家臣団には3段階の大きなリフォーム(構造変化)があり、
その都度、構成員は膨張し、集団は機能的深化を遂げていく。」(8~9頁)とする(⌒~⌒)
/以上見てきたように、賤ヶ岳の戦いにおける秀吉軍の勝利の背景には、陣城や
防衛網の構築と、超スピードの大返しが大きな要因だった。情報の収集・分析能力、
全体のプランニング、用意周到な準備と遂行能力が勝敗を決したという点では、
賤ヶ岳の戦いは高松城などの攻城戦や中国大返しと同様の〝新しい合戦〟といえる。
そして、それらを準備し実行したのが、三成や大谷吉継・増田長盛ら、近江衆を
中心とした吏僚たちであり、中国戦線で鍛えられた彼らは、秀吉軍に不可欠な存在と
なっていたのだ。賤ヶ岳の戦いではどうやら帷幄の中心には官兵衛ではなく、三成が
いたようなのである。/後方活動や机上の仕事を受け持つ吏僚の役割として特に重要
だったのが、兵站の確保である。敵軍を圧倒するために、秀吉軍の動員兵力は合戦を
経るごとに加速度的に増大していく。・・・/兵数が増大するほど、兵站が難しくなる
のは言うまでもない。兵站を担った一貫して吏僚派奉行であ[る。]・・・/ただし
数万を超す兵站は、とても奉行数人が算盤をはじくだけで準備できるレベルではない。
兵糧・弾薬・馬などの管理、それらを計算する大量のスタッフ、正確な地図の製作と
通信手段の確保などが必要であるからだ。/・・・合戦の現場でも、吏僚の存在感が
増していったのだ。/・・・
このような147~148頁は論じる一方、そこに秀吉家臣団「分裂」の萌芽もあったことも忘れてないし
(149頁)、更に177~178頁では次のような指摘も(^^)
/豊臣政権発足当初は、十数人が奉行衆として庶政を分担していた。/興味深いのは、
彼らの多くが中国攻め以降、戦場において兵站や陣城構築、情報の収集・分析などに
従事したテクノクラートであったことだ。本書ではこれまで、秀吉の〝新しい合戦〟
にとって、計数の才に優れた吏僚が不可欠であったことを繰り返し述べてきた。
兵数の増大・合戦期間の長期化・戦術の複雑化などにともなって、舞台裏を支える
吏僚の働きも多岐にわたり、高度になっていく。/そして、合戦の舞台裏で必要と
された、計算・情報収集・事前準備・人材手配・交渉などについての能力は、
そのまま行政官としても必要な才能であった。合戦現場で培われたスキルや
経験、能力が、行政・財政の実務にも活かされたのである。・・・
「秀吉家臣団」という集団・組織として捉えて、役割・機能に着目するアプローチも興味深いけど、
やっぱり列伝風に家臣一人一人の事績や逸話とかを小生は知りたかったな(^_^;) 神子田正治は名前も
知らなかったけど、名前は知ってた加藤光泰や宮部継潤は、本書を読んでもっと知りたくなった(^^)
本書は「・・・継潤はドラマなどで登場することはまずないが、竹中半兵衛や蜂須賀正勝並みに名前
の知られていい武将である。/・・・」(79頁)と推してて、
・・・/また、山陰地方の要衝となる鳥取城代には、宮部継潤が入っている。
山陽道が高松城の堤防崩壊の後遺症で機能不全になっていることを考えると、
山陰道を守る鳥取城のほうが毛利進軍の矢面に立つ可能性が高かった。
宮部継潤は毛利との国境が確定するまで鳥取城の守将を命じられており、
秀吉からの信任の高さがうかがえる。/・・・
と122頁に(⌒~⌒) ちなみに、本書はほとんど取り上げてなかったけど、小生イチオシの中村一氏も
小牧・長久手の戦いの時には紀州の雑賀・根来衆に対する抑えとして岸和田城に、徳川家康が関東へ
移封されると駿河国の府中に据えられるなど、豊臣秀吉からメチャ信頼されてた家臣かとv( ̄∇ ̄)
タグ:歴史
スパムコメ、わざわざ画像認証にしてるのに来るなんて
その能力を正しい方向に使えばとても稼げると思うんですけどねぇ(*_*)
うちは画像認証&承認制をとってるからか
スパムコメは来ないので助かってます=(^.^)=
by ニッキー (2020-11-19 21:06)
簡単に突破されちゃうわけですから、画像認証は防御力が弱いですね(^_^;)
特定の記事にだけ外国からの長文スパムコメ連続攻撃があるのは謎(@_@;)
by middrinn (2020-11-19 21:22)
敵将の首を取ってくるよりも、戦いを継続・軍団を維持させる
後方兵站を重視するようになったとも言えますね。まさに
新しい戦いの様式。もちろん皆、マスク着用で。
by tai-yama (2020-11-19 22:54)
スパムコメント設定でおさえ込めたらいいですね。
by nikki (2020-11-20 00:41)
うーん、この本も面白そう(^_^;)
by yokomi (2020-11-20 01:12)
スパムコメント、今回された設定で無くなると良いですね。
by ナベちはる (2020-11-20 01:25)
( ^o^)ノ◇ 山田く~ん 新しい戦いの様式。もちろん皆、マスク着用で。座布団1枚 ♪
tai-yama様、二十万という秀吉軍全員に供給されたのも、アベノマスクだったり(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 04:48)
「201102読んだ本【バカチン】」に数日前から英文の超長~いスパムコメントが
次々と書き込まれ、削除した直後に書き込まれてしまうという連続攻撃でしたけど、
nikki様に教わった設定で、共通する6文字の英単語で押さえ込めたようです(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 04:53)
とりあえず、読んで損は全くしませんけど、
yokomi様、買うほどではないです(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 04:54)
英文の超長~いスパムコメントを書き込もうと攻撃は続いているようですが、
ナベちはる様、とりあえず書き込みの阻止には成功しているようです(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 04:57)
middrinnさんおはようございます。
SS風呂ガーの方で、URLの入力を禁止WORDに設定されている方も多いですね。 やはり効果はあるのでしょうね。
by ネオ・アッキー (2020-11-20 05:12)
URL入力を一般的に禁止する設定のやり方は小生は分からないんですよ(^_^;)
拙ブログの過去記事へのリンクを書き込む時もあるので設定しませんが(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 05:18)
ウチのブログにも最初は来ましたねぇ、今は来ませんが!
私はログインユーザーのみ受け付けの設定にしてます。
by そら (2020-11-20 06:38)
拙ブログは最近になって来るようになりました(^_^;)
特定の記事にだけ書き込まれるのがチト謎です(^_^;)
by middrinn (2020-11-20 06:49)
信長家臣団の分析っていうのは読んだことあるけれど
これも面白そうです。
最初は家臣ゼロからのスタートですものね。
リアル出世ゲームみたいで。
by Cazz (2020-11-20 10:52)
まさに「ゼロからのスタート」であることを、
本書で再認識し、秀吉の偉大さを確認(^^)
by middrinn (2020-11-20 13:54)