201025読んだ本【バカチンたち】
神曲を挙げるなら・・・「微笑がえし」(^o^)丿 おかしくって涙が出そうオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
【読んだ本】
岩切友里子(編著)大蘇芳年(画)『月百姿』(東京堂出版,2010)
一部の繰り返し符号は使用せずに(横書きなため)、本書の86頁を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/藤原公任(九九六~一〇四一)は、平安時代の公卿で四条大納言と称され、歌人として
その名を知られる。/図は、白梅の花を扇に載せて雪の庭を行く公任の姿。『撰集抄』
巻八第十四「公任中将之時折梅花歌事」に記される逸事で、天保四年(一八三三)刊の
尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』巻五「大納言公任」にもほぼ同じ話が以下のように
記されている。
若かりし時、或年のきさらぎ中の十日の初めつ方、雪いみじく降り重ねて
月ことに明かく、木ごとに花咲く心地していづれを梅と分きがたきに、
公任の中将を召して梅の花を折りて参れと遣されけるに、程なく雪をも
散らさず折りて参られけるに帝いかゞ思ひつると仰せのありければ、
かくこそ詠みて侍りつれとて、
しらしらとしらけたる夜の月かげに雪かき分けて梅の花折る
と申されければ大いに賞でさせ給ひ、叡慮ことに麗はしかりけるに感じて、
ゆゝしきまでに落涙せられければ主上も御袖を濡らさせ給へり。公任は
この世の思ひ出はこの事に侍るとて、申し出てらるゝ度ごとに袖を
絞られけるとぞ。
同書には、大石真虎筆の挿図(図41)があり、芳年は『百人一首一夕話』に本図の題を
得たものと思われる。公任の衣の黒地には有識文様正面摺が施されている。/
雪と白梅の花が区別のつかない状況(「木ごとに」とは木+毎=梅の意で『古今和歌集』の紀友則の
歌を踏まえている)で、「公任の中将」が帝に命じられて雪を散らさずに梅の花を折ってきて詠んだ
「しらしらと」の歌を帝に褒められて公任は感涙し帝も貰い泣きしたというのが「この世の思ひ出」
と語る度に藤原公任は袖を濡らした、といった内容のようだけど、ヘンな話だわなC= (-。- ) フゥー
本書巻末の〈芳年「月百姿」解題〉で「・・・/このような資料に基づいた時代考証を求める時流の
中にあって、芳年は、絵草子屋に並べられる錦絵といえども、時代風俗の描写、器物の考証に注意を
はらい、多く『前賢故実』の図を典範としたのである。決して安易な借用ではなく、絵師としての
研究努力と見るべきであろう。芳年没後の新聞には、その功績に関して次のような記事が掲載されて
おり、当時の人々が芳年の画作を時代考証の点でも高く評価していたことが示されている。/・・・」
(本書221~222頁)とされ、時代考証もしっかりしてたという月岡芳年、この作画の参考にしたのは
『百人一首一夕話』の挿図だが、同書は『撰集抄』の話を元ネタにしてて大丈夫なのかと、西尾光一
(校注)『撰集抄』(岩波文庫,1970)で当該話の書き出しを見て、大爆笑オホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
/むかし、村上の御門の末のころ、きさらぎの十日のはじめつかた、雪いみじく・・・
歴史感覚があれば気付くはずだが、この「しらしらと」の歌は、手元の2冊の『公任集』には無くて、
『和漢朗詠集』に入っているので(ただ、「しらけたる夜の」が「しらけたるとき」になってる)、
川口久雄(全訳注)『和漢朗詠集』(講談社学術文庫,1982)と菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典
文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から順に現代語訳とコメントを引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
白髪の年老いた翁が、白い月の光の下で、白雪をかきわけて白い梅の花の枝を
折ります。いかにもしらじらしいことです。
・・・『撰集抄』では、公任のこの歌に対して村上天皇が大いに感嘆したとある。
ただしこの歌が公任作かどうか所拠はない。/・・・
あまりにも白いことだ。白髪の老人が、白い月の光を頼りに白雪をかきわけながら、
白梅の花を折っている眺めは、せっかくの風流も、その白さだけに眼をとめると、
何だかわざとしつらえたようでもあって、興ざめだ。
・・・『撰集抄』・・・に、雪の夜に、村上帝の命を受けて公任が梅の花とともに
奉った時の歌として、第二句「しらけたる夜の」に作って出。作者について、
いずれも証すべきものがない。/
村上帝は967年没で公任は966年生まれ、ありえぬことに気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンドモガァ!!
『撰集抄』は歌人についてデタラメな話が満載の偽書(その意味では奇書なのかも)ゆえ、この話も
「村上の御門の末のころ」が間違っているのはアルアルだが、ヘンなのはそこだけではない(@_@;)
『撰集抄』も本書が引く『百人一首一夕話』も「公任の中将」とあるけど、公任のような名門の出と
なると「中将」は若い頃に就くポストで、現に小町谷照彦『王朝の歌人7 藤原公任』(集英社,1985)
巻末の「公任略年譜」によると、円融天皇の永観元年(983年)12月13日に18歳で左近衛権中将(^^)
んな若い公任が「白髪の年老いた翁が・・・」「白髪の老人が・・・」なんて歌を詠むかね(@_@;)
菅野禮行・前掲書や安田孝子&梅野きみ子&野崎典子&河野啓子&森瀬代士枝(校注)『撰集抄』
(現代思潮新社,2006)下巻は字句が少し異なるが同歌の作者を とする文献を引いてて、
村上天皇の治世には既に亡くなっていたっぽいけど、たしかに躬恒の歌ならしっくりくるかと(^_^;)
ただ、話の流れから公任の歌でないと不自然(^_^;) 他人(しかも高名な歌人)の歌や作者不詳の歌を
詠み上げて、たとえ褒められたとしても感涙にむせるのはヘンだし、むしろ公任ほどの大歌人なら、
自作の歌を即詠できなかったことを〈この世の悔い〉として悔し涙を流したというのなら解る(^_^;)
・・・この『撰集抄』の逸話はミスとか間違いとかのレヴェルではなくて、全くのデタラメ
であって、夏目漱石が『吾輩は猫である』で「ニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して
彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させた」と書いた
ように(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-11-03 )、『撰集抄』
の著者の悪ふざけではないかと(-ω-、)・・・
と書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-15 )、和歌や歌人に関し
少し齧った程度でも一見してデタラメと判る記述に満ち満ちた書物であるにもかかわらずその記述を
真に受けてる輩に、してやったりとあの世で『撰集抄』著者も笑いが止まらず涙・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
【読んだ本】
岩切友里子(編著)大蘇芳年(画)『月百姿』(東京堂出版,2010)
一部の繰り返し符号は使用せずに(横書きなため)、本書の86頁を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
/藤原公任(九九六~一〇四一)は、平安時代の公卿で四条大納言と称され、歌人として
その名を知られる。/図は、白梅の花を扇に載せて雪の庭を行く公任の姿。『撰集抄』
巻八第十四「公任中将之時折梅花歌事」に記される逸事で、天保四年(一八三三)刊の
尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』巻五「大納言公任」にもほぼ同じ話が以下のように
記されている。
若かりし時、或年のきさらぎ中の十日の初めつ方、雪いみじく降り重ねて
月ことに明かく、木ごとに花咲く心地していづれを梅と分きがたきに、
公任の中将を召して梅の花を折りて参れと遣されけるに、程なく雪をも
散らさず折りて参られけるに帝いかゞ思ひつると仰せのありければ、
かくこそ詠みて侍りつれとて、
しらしらとしらけたる夜の月かげに雪かき分けて梅の花折る
と申されければ大いに賞でさせ給ひ、叡慮ことに麗はしかりけるに感じて、
ゆゝしきまでに落涙せられければ主上も御袖を濡らさせ給へり。公任は
この世の思ひ出はこの事に侍るとて、申し出てらるゝ度ごとに袖を
絞られけるとぞ。
同書には、大石真虎筆の挿図(図41)があり、芳年は『百人一首一夕話』に本図の題を
得たものと思われる。公任の衣の黒地には有識文様正面摺が施されている。/
雪と白梅の花が区別のつかない状況(「木ごとに」とは木+毎=梅の意で『古今和歌集』の紀友則の
歌を踏まえている)で、「公任の中将」が帝に命じられて雪を散らさずに梅の花を折ってきて詠んだ
「しらしらと」の歌を帝に褒められて公任は感涙し帝も貰い泣きしたというのが「この世の思ひ出」
と語る度に藤原公任は袖を濡らした、といった内容のようだけど、ヘンな話だわなC= (-。- ) フゥー
本書巻末の〈芳年「月百姿」解題〉で「・・・/このような資料に基づいた時代考証を求める時流の
中にあって、芳年は、絵草子屋に並べられる錦絵といえども、時代風俗の描写、器物の考証に注意を
はらい、多く『前賢故実』の図を典範としたのである。決して安易な借用ではなく、絵師としての
研究努力と見るべきであろう。芳年没後の新聞には、その功績に関して次のような記事が掲載されて
おり、当時の人々が芳年の画作を時代考証の点でも高く評価していたことが示されている。/・・・」
(本書221~222頁)とされ、時代考証もしっかりしてたという月岡芳年、この作画の参考にしたのは
『百人一首一夕話』の挿図だが、同書は『撰集抄』の話を元ネタにしてて大丈夫なのかと、西尾光一
(校注)『撰集抄』(岩波文庫,1970)で当該話の書き出しを見て、大爆笑オホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
/むかし、村上の御門の末のころ、きさらぎの十日のはじめつかた、雪いみじく・・・
歴史感覚があれば気付くはずだが、この「しらしらと」の歌は、手元の2冊の『公任集』には無くて、
『和漢朗詠集』に入っているので(ただ、「しらけたる夜の」が「しらけたるとき」になってる)、
川口久雄(全訳注)『和漢朗詠集』(講談社学術文庫,1982)と菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典
文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)から順に現代語訳とコメントを引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
白髪の年老いた翁が、白い月の光の下で、白雪をかきわけて白い梅の花の枝を
折ります。いかにもしらじらしいことです。
・・・『撰集抄』では、公任のこの歌に対して村上天皇が大いに感嘆したとある。
ただしこの歌が公任作かどうか所拠はない。/・・・
あまりにも白いことだ。白髪の老人が、白い月の光を頼りに白雪をかきわけながら、
白梅の花を折っている眺めは、せっかくの風流も、その白さだけに眼をとめると、
何だかわざとしつらえたようでもあって、興ざめだ。
・・・『撰集抄』・・・に、雪の夜に、村上帝の命を受けて公任が梅の花とともに
奉った時の歌として、第二句「しらけたる夜の」に作って出。作者について、
いずれも証すべきものがない。/
村上帝は967年没で公任は966年生まれ、ありえぬことに気付けよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンドモガァ!!
『撰集抄』は歌人についてデタラメな話が満載の偽書(その意味では奇書なのかも)ゆえ、この話も
「村上の御門の末のころ」が間違っているのはアルアルだが、ヘンなのはそこだけではない(@_@;)
『撰集抄』も本書が引く『百人一首一夕話』も「公任の中将」とあるけど、公任のような名門の出と
なると「中将」は若い頃に就くポストで、現に小町谷照彦『王朝の歌人7 藤原公任』(集英社,1985)
巻末の「公任略年譜」によると、円融天皇の永観元年(983年)12月13日に18歳で左近衛権中将(^^)
んな若い公任が「白髪の年老いた翁が・・・」「白髪の老人が・・・」なんて歌を詠むかね(@_@;)
菅野禮行・前掲書や安田孝子&梅野きみ子&野崎典子&河野啓子&森瀬代士枝(校注)『撰集抄』
(現代思潮新社,2006)下巻は字句が少し異なるが同歌の作者を とする文献を引いてて、
村上天皇の治世には既に亡くなっていたっぽいけど、たしかに躬恒の歌ならしっくりくるかと(^_^;)
ただ、話の流れから公任の歌でないと不自然(^_^;) 他人(しかも高名な歌人)の歌や作者不詳の歌を
詠み上げて、たとえ褒められたとしても感涙にむせるのはヘンだし、むしろ公任ほどの大歌人なら、
自作の歌を即詠できなかったことを〈この世の悔い〉として悔し涙を流したというのなら解る(^_^;)
・・・この『撰集抄』の逸話はミスとか間違いとかのレヴェルではなくて、全くのデタラメ
であって、夏目漱石が『吾輩は猫である』で「ニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して
彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させた」と書いた
ように(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-11-03 )、『撰集抄』
の著者の悪ふざけではないかと(-ω-、)・・・
と書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-03-15 )、和歌や歌人に関し
少し齧った程度でも一見してデタラメと判る記述に満ち満ちた書物であるにもかかわらずその記述を
真に受けてる輩に、してやったりとあの世で『撰集抄』著者も笑いが止まらず涙・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
藤原公任、わずか1歳足らずで村上天皇が感激する歌を詠めるほど、
才能があったと言いたかったんでしょうか?→昔の偉人はすごいなぁ(棒読みw)
by ニッキー (2020-10-25 21:24)
一度にたくさんは目が疲れます。
国文学というのも大変な学問ですね。
by 爛漫亭 (2020-10-25 23:14)
白いお姿になった村上帝が感動したと言う話だったり。
芳年さんもあの世で「騙された」と思っているかも(笑)。
by tai-yama (2020-10-25 23:40)
>村上帝は967年没で公任は966年生まれ
1歳ではさすがに歌を作ることが出来るわけではないので、さすがにあり得ないですよね(+o+)
by ナベちはる (2020-10-26 01:36)
『撰集抄』著者は作り話であることを解らせようと、
ニッキー様、これらの人物を揃えたたのかも(^_^;)
by middrinn (2020-10-26 06:21)
疲れ目を涙で癒やせるよう、ラストに冒頭の枕話にループするオチをつけました(^_^;)
爛漫亭様、漢詩文や浮世絵が専門なのに国文学も調べねばならないのも大変かも(^_^;)
by middrinn (2020-10-26 06:25)
村上天皇は42歳で亡くなられたので、
tai-yama様、若白髪ですか(^_^;)
by middrinn (2020-10-26 06:28)
解る人には解るよう『撰集抄』著者の仕掛けなのかも(^_^;)
ナベちはる様にとっての神曲は沢山ありそうですね(〃'∇'〃)
by middrinn (2020-10-26 06:30)
キャンディーズ、最高でしたねぇ!
良い時代でした(^^)
by そら (2020-10-26 06:37)
「微笑がえし」の歌詞にはそれまでの曲が織り込まれてて集大成のようでした(^^)
by middrinn (2020-10-26 06:51)
木毎=梅、今もネットで多用されているパターンで、いかにもキーボード入力らしい表現だと思っていたのですが、漢詩の離合詩まで遡るようですね。
恥ずかしながら知りませんでした。
でも言われてみれば、文屋康秀の「~むべ山風をあらしと~」もそうでした。
by enokorogusa (2020-10-28 18:43)
文屋康秀の「むべ山嵐を嵐といふらむ」は、そのままやんけ(ノ ̄皿 ̄)ノ┫:・’
という感じですけど、紀友則「雪降れば木毎に花ぞ咲きにけるいづれを梅と分きて
折らまし」は座布団をあげたくなるような巧さと小生なんかは思いました(^_^;)
こーゆー言葉遊びが正岡子規には面白くなく気に入らなかったんでしょうか^_^;
by middrinn (2020-10-28 18:56)