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200711読んだ本【バカチン×2冊】

インプット先行型読書生活満喫と昨日書くも、バカチン歴史家による伝記にデタラメ(捏造)やミスが
次々発見され、その一つを検証するため拾い読み(アウトプット先行型読書)してた『栄花物語』で、
目的とは無関係な件が目に留まって注釈書の誤りに気付いてしまい、ソレを論証するために数冊の本に
当たるというアウトプット型読書を更に強いられる羽目となり、底無し沼に嵌まったようだ(ノ_-;)ハア…
一時的に雨が止み晴れて日射しが出ても風がメチャ強すぎて傘を干すことが出来ないのだが(´ヘ`;)

【読んだ本(バカチン×2冊)】

松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(三)』(角川書店,1972)
山中裕&秋山虔&池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集33 栄花物語③』(小学館,1998)

研究者としてのセンスがあれば、松村博司『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(八)索引編』
(角川書店,1981)の「人名索引」を眺めただけで誤り(藤原兼経の項の「小少将」は別人)に気付く
はずと書いたが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-06-23 )、松村博司や
山中裕、秋山虔らが研究者として為すべき作業を怠っていることも今回は指摘オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

「人名索引」(同書283頁)で兼経とされてるのは松村・本書では4つ(権少将、少将、傅殿の少将、
小少将)で、古い順に先ずは「権少将」の件の現代語訳を両書から引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

①「権少将」(上段=松村・本書330~331頁、下段=山中裕他・本書75~76頁)

    /こうするうちに、一条殿の尼上[源雅信の妻の藤原穆子]は、数日来御病気のような
    御様子なので、殿の北の方[藤原道長の妻で、穆子の娘の倫子]がお出かけになられて
    お目におかかり申し上げられたところ、今度の御病気はいつもの御病状とは違っておられて、
    何となく心細そうなことを言われたり、頼りのないようなことなどをおっしゃったり
    考えたりされているのも、もっともな御事ではあるが、「ほんとに悲しいことで、
    どうなることだろうか」とおちついた気持もなくお嘆きなさって、いろいろの御祈?を
    数も知れないほどおやりなさる。殿[藤原道長]も(暇々には)ちょっと来られては、
    「やはり今年は無事お過しなさることのできるような御祈禱を、十分になさるよう、
    大切な儀式のあるはずの年なのだから、何にしても大変恐ろしい」などと、いろいろ
    申し上げなさるのはいうまでもないことで、このように心細く頼みの少ない御様子を
    しきりに悲しくお思いなさって、寿命経の不断の御読経などをあげさせなさる。
    御修法や御読経はありたけ数を尽くしてなさる。権少将や丹波の中将[源雅通]などは
    尼上の御前につききりで、ちょっとでも座から離れると、「どこへ行ったどこへ行ったと
    お探しなさる御愛情の深さよ」とばかり、殿の北の方は大層胸をしめつけられるように
    お感じなさる。・・・

    /こうするうちに、一条殿の尼上(穆子)は、この数日来ご気分がすぐれずに
    いらっしゃったので、殿の上(倫子)がお越しになってお目にかかり申されたところ、
    今度のご病気はいつものお具合とは違っておられてなんとなく心細そうな御面持ちで
    ご思案になり、また仰せになる、それも無理からぬ御事であるけれども、上はほんとに
    悲しく、いったいどうなることかと落ち着いた気持もなくご心痛になられて、さまざまの
    御祈禱を数も知れぬほどおこなわせられる。殿(道長)も、ほんのしばらくの間
    お越しになって、「やはり今年は無事平穏にお過しになられるような御祈禱を十二分に
    なさるよう。大切な儀式があるはずの年であるから、まったくもって恐ろしいことです」
    などと、あれこれお申しあげになるのはもとよりのこと、このように心細くどうも頼りない
    ご様子をただ悲しくお思いになって、寿命経の不断の御読経などをおさせになる。/
    御修法や御読経は数限りなくおこなわせられる。権少将(藤原兼経)や丹波の中将
    (源雅通)などは尼上(穆子)のおそばにつききりで、いささかでも立ち離れると、
    尼はどこへ行ったかどこへ行ったかとお探しになる。お心寄せが並々ではないことよと、
    上(倫子)はまことにいたわしく胸うたれるお気持である。・・・

重篤の穆子は「権少将」や「丹波の中将」がお傍から離れると「いづらいづら」とお探しになる(;_;)

「丹波の中将」こと源雅通は源時通の子で、源時通は源雅信と藤原穆子の子なので、藤原穆子の孫(^^)

上記の如く山中裕他・本書76頁は「権少将」を藤原兼経とし、松村・本書331頁の「権少将」の語釈も
藤原兼経としているが、その根拠のつもりなのだろう、そこには次の記述があるC= (-。- ) フゥー

    ・・・寛弘九年[1012年]正月二十七日左権少将(『公卿補任』寛仁二年条)。・・・

藤原兼経も父は藤原道綱で母は源雅信と藤原穆子の娘ゆえ源雅通と同様に藤原穆子の孫にあたるし、
また調べると、藤原道長の日記『御堂関白記』の長和5年(1016年)12月12日の条に「・・・兼経が、
一条第の券契を持って来た。これは[穆子の娘の倫子は道長の妻ゆえ]我が家の領であるべきもので
ある。ところが、故上(藤原穆子)には御本意が有ったのである。やはり兼経朝臣が領有すべきもの
なのであって、私の許に留めるべきではない。早く持ち還るよう指示して、これを返した。」(倉本
一宏[全現代語訳]『藤原道長「御堂関白記」(下)』[講談社学術文庫,2009]による)とあって、
故源雅信が所有していた邸第が妻の穆子の遺志で孫にあたる藤原兼経に相伝された事実から、穆子が
藤原兼経を大事にしていたと想像され、この「権少将」を藤原兼経と解した松村・本書や山中裕他・
本書の見解は、たしかに一理あるようにも見えるC= (-。- ) フゥー

さて、この穆子が重篤になる段は何年何月の出来事かというと、本段の直前に「長和五年正月十九日
[三条天皇]御譲位。」(松村・本書311頁&山中裕他・本書69頁)とあり、また本段の前の段の末尾
には「七月のついたちには、法興院の御八講など急がせ給ふ。」(松村・本書328頁&山中裕他・本書
75頁)という一文があることから、この段は長和5年(1016年)7月の出来事とされている(⌒~⌒)

『栄花物語』は藤原道長の栄華を描いた歴史物語とされるが、その道長の日記『御堂関白記』から、
倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)の現代語訳で
長和5年(1016年)3月2日の条を引くので、よぉーく御覧あれ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

     二日、丙午。 石清水臨時祭使・舞人・歌人を改定/三条院、春宮帯刀・
            東宮昇殿について仰す

    石清水臨時祭の祭使・舞人・歌人を定め改めた。これは以前からの御祈願に
    よるものである。祭使は三位中将(藤原)能信、舞人は右中将(源)雅通・
    四位少将(藤原)兼経・(藤原)公成・侍従(藤原)実経〈以上、四位。〉、
    ・・・

3月の時点で既に「少将」だから7月の「権少将」が兼経のわけがないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

藤原兼経は、倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)の
寛弘8年(1011年)8月23日の条に「・・・藤大納言(藤原道綱)の子(藤原兼経)を、この何年来、
養子としていた。今夜、元服の儀を行なった。・・・」とあるように、道長の養子(^^) 対立していた
三条天皇が譲位し、外孫の敦成親王が即位(後一条天皇)して権力の絶頂期に入った道長の養子が、
「少将」から「権少将」(「権」は令制が定める正官ではなく仮に任じた官)に格下げされるわけが
ないオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! 現に猛スピードで昇進街道、猫まっしぐらだしオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

元服の儀の記述に「・・・右大将(藤原実資)が、加冠を勤めた。・・・」(同書)とあるが、藤原
実資の日記『小右記』を見ても、かなり前から兼経は「少将」だった事実が判明するぞv( ̄∇ ̄)ニヤッ

長和5年(1016年)3月12日は倉本一宏編『現代語訳 小右記8 摂政頼通』(吉川弘文館,2019)17頁に

    ・・・/舞人、四位四人(雅通[右中将兼中宮亮。]・(藤原)兼経[左少将。]
    ・(藤原)実経[民部大輔兼侍従。]・公成[右少将。]。)・五位四人・・・

長和5年(1016年)2月11日は同編『現代語訳 小右記7 後一条天皇即位』(吉川弘文館,2018)286頁に

    ・・・左少将(藤原)兼経が来た。袴を送った悦びを言った。逢って、談話した。

長和4年(1015年)11月28日は同編『現代語訳 小右記7 後一条天皇即位』(吉川弘文館,2018)199頁に

    ・・・昨日の臨時祭の詳細を資平に問い遣わしたところ、報じて云ったことには、
    「・・・祭使左少将(藤原)兼経は、私の宅に於いて装束を着しました。・・・」
    ということだ。・・・

長和3年(1014年)正月27日は同編『現代語訳 小右記6 三条天皇の信任』(吉川弘文館,2018)117頁に

    昨日、昇殿・蔵人・検非違使を定められた。・・・「左少将兼経が従四位上に叙された。
    父大納言(道綱)の、去年、中宮に行幸した時の賞である」と云うことだ。/・・・

長和2年(1013年)7月29日は同編『現代語訳 小右記6 三条天皇の信任』(吉川弘文館,2018)35・36頁に

    ・・・左少将(藤原)兼経が、相撲奏を左近将監(多)武文に持たせて、参り進んだ。
    ・・・

    ・・・その後、しばらくして左少将兼経が簀子敷から参入し、第一の衝重を取り、
    右大臣の前に据えようとした。両丞相(右・内。)が云ったことには、「長押の上に
    据えるように」ということだ。私が云ったことには、「そうではない事である。
    右大臣の後ろの欄干の下に据えるように」と。私の指示に従って、これを据えた。・・・

松村・本書や山中裕他・本書は長和5年(1016年)7月の穆子が重篤になる段に登場する「権少将」を
藤原兼経とするが、以上の如く遅くとも長和2年(1013年)7月には藤原兼経は「少将」ヾ(`◇´)ノ

松村・本書331頁は「『公卿補任』寛仁二年条」を引いているが(上述)、「国立国会図書館デジタル
コレクション」の『国史大系』第9巻の『公卿補任前編』をネットで閲覧すると、同条には次のように
記されている〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・同[=寛弘]九年[1012年]正月廿七日左権少将。長和二年[1013年]正月廿四日
    兼播磨介。同三年[1014年]正月六日叙従四位下。(少将労)。・・・

藤原兼経は「長和・・・三年[1014年]正月六日」に「少将」を何年か勤めたことで「従四位下」に
「叙」された、と記されているのに、松村博司の目は節穴だったようだオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

笑ったのが、山中裕他・本書の巻頭の「古典への招待 『栄花物語』と古記録──小一条院の東宮退位
事件をめぐって」に次のように書かれていたこと(山中裕他・本書5頁)オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    ・・・/敦明親王東宮退位事件を伝える史料は大きく二つに分けることができる。
    歴史物語と古記録である。前者はいうまでもなく『栄花物語』と『大鏡』、
    後者には『御堂関白記』『小右記』『権記』『左経記』がある(ただし『権記』は
    『立坊部類記』に引かれた逸文)。古記録とは当時の男性貴族によって書かれた
    漢文の日記で、女流の仮名日記と異なり、日々に記される日次記であることを
    特徴とする。これらの古記録を本書の頭注にもしばしば引用したのは、時を置かずに
    出来事の現場を記した史料であり、信頼性が高いと考えられるからである。・・・

「権少将」を兼経と決めつける前に「信頼性が高い」史料である古記録の『御堂関白記』『小右記』
で兼経の当時の官職をチェックすらしないとは、研究者失格だぞ!ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
タグ:古典 歴史
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ニッキー

1つのことを調べてて「あれ?」ってなって
次々と調べることが増えて底なし沼になることありますよねぇ(ー ー;)
「あそこで手を出さなければ・・・」と思ったりしますが
手を出さないわけにもいかず(*_*)
でも3月に少将だったのに7月に権少将とするのは
プロの研究者としてはあんまりな気がします(−_−;)
by ニッキー (2020-07-11 21:47) 

middrinn

知的好奇心が満たされるとはいえ、
次々と色々な本に手を出すことに
なって、本来、読む予定だった本
が後回しになってしまうのが(..)
by middrinn (2020-07-12 05:37) 

yokomi

底無し沼に嵌まった middrinn さん。ご無事の生還おめでとうございます(^_^;) この手の書物は校閲って無いのでしょうかねぇ,,,(>_<)
by yokomi (2020-07-12 08:39) 

middrinn

こーゆー全集物や講座物は編集委員などと呼ばれる偉~いセンセイ(学界の権威)が
担当執筆者を決めているはずですけど、出版前に原稿に目を通してるのかな(@_@;)
版元は校正はしてても(内容の当否にまで踏み込んだ)校閲はしてなさそう(^_^;)
by middrinn (2020-07-12 08:48) 

ネオ・アッキー

middrinnさんこんにちは。
最近のお天気は、雨の降っていないときは強風で、風が吹かない時は雨は激しく降りますね。
地球は大丈夫なのでしょうか・・・
by ネオ・アッキー (2020-07-12 13:02) 

middrinn

強風の日が2年ぐらい前から増えている印象があります(@_@;)
今日は快晴で風も無いので、やっと傘が干せました\(^o^)/
by middrinn (2020-07-12 13:40) 

美美

底なし沼はいずれにせよ魅力があるようですね。
レンズ沼という言葉もあるようです(笑)
by 美美 (2020-07-12 20:27) 

middrinn

金の斧か銀の斧が沈んでるかもしれませんね(〃'∇'〃)
「レンズ沼にはまる」、検索しました_φ( ̄^ ̄ )メモメモ
by middrinn (2020-07-12 20:39) 

tai-yama

「少将」だけに少々間違ってしまったとかだったり(笑)。
by tai-yama (2020-07-12 23:01) 

middrinn

紫式部の歿年に関わる間違いなので少々と言えるかどうか(^_^;)
by middrinn (2020-07-13 05:23) 

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