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200621読んだ本

日刊スポーツの真柴健オリ担当が「20日は延長10回2死一、二塁で、先制適時打を放っていたファースト
中川が痛恨のトンネル。9回まではサードを守り、この回から一塁に就いていた24歳が適時失策を犯して
しまった。懸命にやっても防げないミスもある。ジョーンズは敗戦を見届けると、一番最初に中川の元
に足を運んだ。背中をさすって、トントンとたたく姿があった。」と書いてて、泣けた(´;ω;`)ウッ…
家から駅への道に幾つもマスク落ちてた(@_@;) 街は大変な人出( ̄◇ ̄;) 昨日の疲労で往復電車(..)

【読んだ本】

末次由紀『ちはやふる』(講談社BE LOVE,2020)44巻

読めば必ずハマるスポ根漫画を図書館で借りて、読了(^o^)丿 ネタバレ防止ゆえストーリーの核心は
書けぬ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ 一番好きなのは若宮詩暢で(幼い頃に祖母の蔵書の百人一首・和歌・歌人等に
関する本を漁って読んでたが、その蔵書[86頁]に『藤腹高子』なる書名の本が(^_^;))、お母様も
美人(若い頃のノースリーブ姿もチラッと)(^^) 二番目に好きな超美人の桜沢翠( ← みどりん!)
先生が全く出てこない上に、三番目に好きな花野菫は完全にモブキャラ化(;_;) 綾瀬千早は綿谷新と
結ばれないなら須藤先輩とくっつけ(^o^)丿 その場合、綿谷新は若宮詩暢とデキちゃって良し(⌒~⌒)

「競技かるたをやる人は札の意味[←歌の内容の意かと]にも歌人にもそんなに注意を払ってない」
という台詞が冒頭(6頁)にあるんだけど、この作品は、よく調べもしないで、和歌や歌人について
付け焼き刃にテキトーなことを語る点が残念(´ヘ`;)ヾ( ̄o ̄;)オイオイネタになると喜んでないか?

綾瀬千早が若宮志暢に送り札した、皇太后宮大夫俊成の「やまのおくにもしかそなくなる」の位置が
祐子内親王家紀伊の「かけしやそてのぬれもこそすれ」の傍になったことに対する、古典好きで和歌
に詳しいという設定らしい大江奏の心の声が16頁の最初のコマに次の如く記されている( ̄◇ ̄;)

    あえて祐子内親王家紀伊の「おと[にきくたかしの浜のあだ波は]」に寄せて送った?

    浮気者で知られる藤原俊忠の誘いの歌に

    いたずらはよしてとピシャリと返す歌…

加えて、同コマには紀伊と俊成が描かれ、手書きで次の遣り取りまで∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    [紀伊]近づかないで
        あなたのお父さんのいたずらのせいで
        この歌が私の代表作に…

    [俊成]そんな怒らないで下さいよー
        私のせいじゃないですしー

藤原俊忠の歌は「いたずら」なんかじゃなく「催し」で送ったものだヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

島津忠夫(訳注)『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,1999→2008新版16版)の祐子内親王家紀伊
の歌の「出典・参考」の項を全て引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    『金葉集』恋下、四六九。「堀河院御時の艶書合によめる 中納言俊忠 人しれぬ
    思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ」とあり、「返し 一宮紀伊」
    として見える。この「堀河院御時の艶書合」は、康和四年(一一〇二)閏五月二日
    および七日に内裏で行われた催しで、堀河天皇が、歌よみの上卿侍臣と、内裏をはじめ
    宮々に仕える女房に懸想文の歌を詠進させ、歌合の形をとって披講されたもの。
    前度は男から女への求愛の歌とその返しの歌、後度は女から男への恨みの歌と
    その返しの歌。これはその前度のうちの一つ。当代を代表する男女有数の歌人が
    心を尽くしてよんでいるので技巧にすぐれた歌が多いが、その女流歌人の筑前や
    紀伊は相当な老女で、筑前は九十歳に近く、紀伊も七十歳ぐらいかと推定され、
    この艶書合がどこまでも遊びと文芸的な興味とに支えられたもので、その歌に、
    なまなましい現実感を求めることはできない。

言わばゲームの中でのロールプレイなのにリアルな求愛と勘違いしてる馬鹿オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

しかも、まるで紀伊がイヤイヤ詠んだ歌かのように描いてるが、『今鏡』の「堀河院艶書合」の段を
竹鼻績(全訳注)『今鏡(上)』(講談社学術文庫,1984)の現代語訳で引く( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    [堀河帝は]和歌をもこのうえなく上手にお詠みになさって、五月のころ、
    手持ちぶさたにお思いなさったのでしょうか、歌を詠む男女に、たがいに歌を詠んで
    やりとりさせて御覧になったのでした。大納言公実、中納言国信などをはじめとして、
    俊頼などという人々も、いろいろの色の薄様に歌を書いて(女方に)お送りなさった
    のでした。女方は周防内侍、四条宮の筑前、高倉の一宮の紀伊、前斎宮の百合花、
    皇后宮の肥後、摂津の君などいう。宮々に仕える女房たちが、われ先にとともに
    返歌を送りました。また、(別の日に)女が恨んでいる歌を詠んで、男のもとに
    送りなどした歌が、堀河院の艶書合といって、後世まで残って、よい歌は数多く
    勅撰集などに入集しているでありましょう。当日は二間において披講して、
    お聞きになったのでした。

「われ先にとともに返歌を送りました(われもわれもと返しあへり)」とあるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

また、この44巻は「祐子内親王家紀伊[ゆうしないしんのうけのきい]」や「紀伊[きい]ちゃん」
と読んでるが、この「紀伊」は、当時の読み方に従って、「き」と読むのが一般的C= (-。- ) フゥー

ただ、唯一感心したのは、この16頁も43頁も紀伊を白髪に描いている点(^_^;) だけど、43頁で紀伊が
「よかった 俊成公も送り返してくれるの? よかった」と述べてるが、俊成ごときに「公」???

壬生忠見の「ひとしれすこそおもひそめしか」の傍に平兼盛の「ものやおもふとひとのとふまて」を
綾瀬千早が送り札した116頁、右下のコマでの大江奏の心の声もメモっておくオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    「こい[すてふ我名はまだき立にけり]」のそばに あえてズズイっと
    「しの[しのぶれど色に出にけり我恋は]送った~~~~

    百人一首で 一、二を争う ライバル歌人に 嫌がらせ~~~~

壬生忠見が平兼盛の「ライバル」かよ( ̄◇ ̄;) たしかに壬生忠見はいい歌人だけど、平兼盛の方が
歌人としての格は上かと(@_@;) この2首が甲乙つけがたい秀歌であることは、有名な逸話(歌合で
判者の左大臣藤原実頼も判定しかね、大納言源高明に判を譲ったけど高明も判定することが出来ず、
村上天皇にお願いするも主上も御判を下されなかったのだが、主上がひそかに兼盛の歌をくりかえし
御口ずさみなさったのを見て、主上の御意、この歌にあり、と考えた実頼は兼盛の歌を勝とした)が
示している通りだけど(´・_・`) なお、負けた壬生忠見が落胆して何も食べられなくなって亡くなって
しまった云々は創作で、小島孝之(校注・訳)『新編日本古典文学集52 沙石集』(小学館,2001)に
「歌故に命を失ふ事」として載ってる(^_^;) そもそも「百人一首で一、二を争うライバル歌人」なら
藤原清輔と藤原俊成(皇太后宮大夫俊成)を挙げるのが和歌史の常識かと〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

43巻の作画ミスを指摘したが(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-06-16)、
44巻も作画ミスがあったヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 43巻162頁最初のコマ、綾瀬千早が札を移動し、藤原興風の
「まつもむかしのともならなくに」と紀貫之の「はなそむかしのかににほひける」を並べ、綾瀬千早
の側から見て、紀貫之「はなそむかし」の左には皇嘉門院別当の「みをつくしてやこひわたるへき」
が並べられている(^^) つまり、この並べ方を綾瀬千早側から見ると、左から順に、

        「みをつくしてや」「はなそむかしの」「まつもむかしの」

となり、43巻では162頁右下のコマ、163頁最初のコマ(作画ミスあり)、163頁左半分のコマでも同様
である( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚ ところが、44巻に入って最初の頁である5頁では綾瀬千早側から見ると左から、

        「みをつくしてや」「まつもむかしの」「はなそむかしの」

の順に並べ方が変わってしまってる( ̄◇ ̄;) 9頁の2コマ目では再び「みを」→「はな」→「まつ」
の並べ方に戻るが、次の3コマ目では「みを」の隣は「まつ」(その上に松の枝[43巻163頁と違って、
松ぼっくりも描かれている]を持つ藤原興風)、その隣は「はな」(その上には梅の枝を持つ紀貫之
が描かれている)となってて、並び順が「みを」→「まつ」→「はな」に変わるのだヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
        
ところが、10頁の最終コマ以降は(全てルーペも使って確認した限り)次の並べ方に戻ってる(^_^;)

        「みをつくしてや」「はなそむかしの」「まつもむかしの」

以上の如く取札の並べ方の作画に関してミスがあるだけではなく、他にも作画ミスがC= (-。- ) フゥー
156頁最終コマに至り、「まつもむかしの」と「はなそむかしの」は離され(「みをつくしてや」は
既に読まれた模様)、157頁で「まつもむかしの」が読まれて取ったのに、160頁の最初のコマには
「まつもむかしの」が存在する上に綾瀬千早の自陣に取札が4枚も残ってる∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?
読んだ人は解るだろうけど、「まつもむかしの」が存在することで、2重の作画ミスに((;゚Д゚)ヒィィィ!

・33巻でヒョロが机くんを破って個人戦B級優勝を決めた127頁の最後のコマの作画ミスを指摘(@_@;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-14

・38巻で登場人物の心理描写に活用された中納言兼輔の歌の解釈に誤りヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-10-06

・39巻で『和泉式部集』も披かずに式部の歌について熱く語る大江奏のバカ母オホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-30

・40巻で「らむ」は原因理由が示されてる推量の助動詞ゆえ「か」は余計ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-01-30

・41巻で紀貫之の「香に匂ひける」は「咲きほこっています」じゃねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30

・末次由紀『ちはやふる』42巻は伊勢大輔タンの秀歌が解ってないじゃんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-09-08
タグ:漫画 和歌
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コメント 14

そら

ちはやふる、来週見ます!!
最近よくマスクが道端に落ちてますよねぇ、ちょっと困った問題だと思います
毎日30人以上の感染者数、電車は怖いです(>_<)
by そら (2020-06-21 20:23) 

middrinn

暑いからですかねぇ(´ヘ`;) そもそもマスクをしてない人を
前より見かけます(ノ_-;)ハア… 電車も混んできましたね(-ω-、)
by middrinn (2020-06-21 20:38) 

ニッキー

先日、強風でマスクを飛ばされて必死で追いかけてた
男子学生を見かけました(⌒-⌒; )
大人だと追いかけるのは諦めるかもw
by ニッキー (2020-06-21 20:52) 

tai-yama

~公・・・と言う敬称って平安時代でも使っていたのかな?
年長者への敬称の意味もあるけど、紀伊さんの方が年長だし・・・
アダム・ジョーンズと宇宙人ジョーンズ(BOSS缶)が重なったり(笑)。
by tai-yama (2020-06-21 23:29) 

ナベちはる

プロ選手はいつでも自分たちのプレイに手を抜かずに全力プレイなので、それでミスしても誰も責められないですね(;`・_・´)
by ナベちはる (2020-06-22 00:43) 

middrinn

落した食べ物を口に入れないのと同様に、
ニッキー様、マスクもダメですよね^_^;
by middrinn (2020-06-22 07:27) 

middrinn

百人一首でも藤原忠平が貞信公、藤原伊尹が謙徳公で、そのクラスじゃないと(^_^;)
tai-yama様、たしかに、BOSS缶CMのジョーンズさんみたいに癒してくれそう(^^)
by middrinn (2020-06-22 07:33) 

middrinn

しかも、今季はサード固定のはずなのに、9回裏のサヨナラの好機に代打小島という
ナベちはる様、世界中のオリファンが呆れた策の所為で玉突きでファーストに(-"-)
by middrinn (2020-06-22 07:36) 

enokorogusa

記録はエラーでしたけど、当たりは強烈でしたし・・・
まあ、トンネルはプロとしてはエラーになってしまうのでしょう。
by enokorogusa (2020-06-22 19:34) 

1963年のオカジュン

百人一首で覚えているのは崇徳院だけです。(落語にあるので)
by 1963年のオカジュン (2020-06-22 19:58) 

yokomi

 ジョーンズは良いやつですね(^_^)v
by yokomi (2020-06-22 21:59) 

middrinn

エラーはエラーなんでしょうけど、上述の通り、むしろ西村監督のエラー(-"-)
enokorogusa様、記録上はエラーにならないミスプレイもありますね(@_@;)
by middrinn (2020-06-23 07:49) 

middrinn

『百人一首』で憶えている歌は、
1963年のオカジュン様、小生も
好きなのだけで僅か数首(^_^;)
by middrinn (2020-06-23 07:50) 

middrinn

アダム・ジョーンズに関する記事は欠かさず読んでますが、
yokomi様、素晴しい人格の持ち主としか思えません(^^)
by middrinn (2020-06-23 07:58) 

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