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200114読んだ本

今月の新刊である中野京子『運命の絵』文春文庫と宮城谷昌光『呉漢』中公文庫の上下巻を楽天市場で
買う予定だったが、せっかく昨年末くじで1000p当たったんだし、ドカーンと不動産・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
最近では珍しくトイレに起きたと思ったら直後に地震があったので、やはり前世はナマズかも(@_@;)

【読んだ本】

繁田信一『殴り合う貴族たち』(角川文庫,2008)所蔵本

主に『小右記』に依拠して「素行の悪い光源氏たち」を描いて売れた本書の「12 内裏女房、上東門院
藤原彰子の従者と殴り合う」の「後一条天皇の女房、息子たちの凶悪事件を揉み消す」なる見出しが
付けられた節の記述を引くC= (-。- ) フゥー

    ・・・後一条天皇の時代の治安三年[1023年]十月のある夕刻、二人の若者が宮中で
    派手な暴力沙汰を起こした。この二人は、天皇の寝所である清涼殿に無断侵入した
    ところを蔵人に見咎められ、警備の武士を相手に暴れたというのである。その際、
    一人は抜刀にも及んだという。/『小右記』に記されたところによると、藤原永職
    という蔵人が二人の若者に気づいたとき、その二人は清涼殿の御湯殿の辺りにいた。
    天皇の住む清涼殿に入ることを許される男性は、公卿・殿上人・蔵人だけであるが、
    御湯殿の辺りをうろうろしていた二人の若者は、永職のまったく見知らぬ顔であり、
    公卿・殿上人・蔵人のいずれでもあり得なかった。/そこで、永職は二人に近づいて
    名を尋ねた。ところが、件の二人の若者は、永職に名を答える代わりに、「放言」に
    よって永職を威嚇した。要するに、永職に向かって大声で何かわめき散らしたのである。
    これに怯んだ永職は、ただちに警備の武士を喚[よ]びに走った。・・・/そうして、
    藤原友良という武士がその場に駆けつけることになる。そして、駆けつけた友良は、
    たちどころに二人のうちの一人を取り押えた。・・・/だが、いかに武士であろうとも、
    一度に二人のくせ者を捕らえることはできず、もう一人を取り逃がしてしまう。そこで、
    友良は先に捕らえた若者をそこらの柱に縛りつけてからもう一人を追おうとする
    のであるが、その間に一度は逃げたはずのくせ者が戻ってきた。捕まった仲間を
    取り戻そうというのである。そして、その手には抜き身の刀が握られていた。
    不意の侵入者は、ついに抜刀に及んでしまったのだ。/しかし、これも武士である
    友良の敵ではなかった。そのとき先に捕らえたくせ者を押えつけて片手が塞がっていた
    友良は、残った片手だけで刀を抜いて襲ってくるもう一人のくせ者を取り押えたのである。
    ・・・/その後、さらに数名の武士たちが応援に駆けつけ、友良の捕らえた二人の侵入者
    たちは、二人ながら、清涼殿の柱に縛りつけられる。・・・/と、そこへ、縛りつけられた
    二人の若者の母親が現れ、武士たちに二人の釈放を要求する。このとき、その母親は、
    自分のバカ息子たちの所業を棚に上げて、彼らを縛りつけた武士たちをさんざんに罵った
    という。/驚いたことに、この母親というのは、後一条天皇に仕える内裏女房の一人で
    あった。彼女の名は「少将」と通称されていたが、この夜の事件は、その少将を迎えにきた
    バカ息子たちが起こしたものだったのである。清涼殿に無断で侵入したうえに刀を抜いて
    暴れるという凶悪事件を起こしたくせ者たちは、少将という内裏女房の息子だったのだ。/
    そのため、この事件は、たちどころに揉み消されてしまう。天皇の寝所である清涼殿で
    刀を抜いて暴れるという重大犯罪であったにもかかわらず、あっさりと赦免が下されたのだ。
    それは、当然、内裏女房である少将が後一条天皇に働きかけた結果であったろう。/
    内裏女房たちというのは、かくも侮りがたい存在であった。

この後も「内裏女房のバカ息子たちの暴走」という見出しの節が続き、このバカ息子たちの一人は、
「縄を解かれるや否や、再び刀を抜い」て、「蔵人の藤原永職に斬りかかっていった」が、蔵人で
検非違使でもある平孝成のお蔭で、バカ息子が「宮中において殺人もしくは傷害を犯」さずに済んだ
「にもかかわらず、少将やそのバカ息子が、孝成に感謝することはなかった」云々とある( ̄◇ ̄;)

吃驚仰天な内容の話だが、別の話を挟んだ後の本章の〆で更に吃驚仰天∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    ・・・/長和三年(一〇一四)の二月頃に没したかと思われる紫式部は、生前、
    一条天皇の妃として中宮あるいは皇太后となった藤原彰子に仕える女房であった。
    そして、その紫式部とともに彰子に仕えた女房たちの中に「小少将」と呼ばれる
    女性がいたが、この小少将こそが、紫式部が女房たちの中で最も親しくなった
    女性であり、紫式部にとっては親友とも言うべき存在であった。/紫式部が
    『紫式部日記』に書き記したところによれば、小少将というのは、何かと
    気の毒なことの多い前半生を送った女性であったらしい。そのためか、彼女は、
    その上品さや美しさとは不似合いなほどに、つねに世をはかなんでいるような感じ
    であったという。紫式部の見た小少将という女房には、どこか陰のある貴婦人という
    趣があったようなのだ。しかし、齢を重ねるうちに彼女は変わっていったらしい。/
    「小少将」と呼ばれて藤原彰子に仕えていた彼女は、いつの頃からか彰子の産んだ
    後一条天皇に仕えるようになり、いつの間にか「小少将」ではなく「少将」と
    呼ばれるようになっていた。そして、後一条天皇の宮廷で「少将」と呼ばれる彼女は、
    かつて彰子のもとで「小少将」と呼ばれていた頃から比べれば、まったくの別人のよう
    であった。/そう、宮中で抜刀して蔵人に斬りかかるほどのバカ息子を育てた少将という
    女房、それこそが、紫式部の同僚であり親友であった小少将の後の姿なのである。
    
「まったくの別人のよう」も何も、そもそも「小少将」と「少将」は「まったくの別人」だろ(^_^;)

第一に『新古今和歌集』の紫式部の歌「たれか世に長らへて見ん書きとめし跡は消えせぬ形見なれど」
の詞書に「上東門院小少将身まかりて後」云々とあり、「小少将」が紫式部より先に亡くなった以上、
「長和三年(一〇一四)の二月頃に没したかと思われる紫式部」とするなら、「後一条天皇の時代の
治安三年[1023年]」の「少将」が「小少将の後の姿」のわけがないヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

第二に土田直鎮が「萩谷氏の紫式部日記全注釈(上巻)を拝見して、その詳細・適確な内容には全く
敬服した。殊に私個人からすれば、登場人物についての精密な考証に最も深い感銘を受けた。かねがね
平安時代の記録を読む上には、きめの細かい人調べがどうしても必要であると感じていたが、なかなか
十分な余裕もないままに過ぎている折から、このように詳しい、しかも附会に陥ることのない論述に
接してただ脱帽するほかはない。」( https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-12-04
と人物考証を高評した萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上』(角川書店,1971)、
『紫式部日記』に登場する「小少将の君」と「大納言の君」について〈・・・この二人の女性の閲歴を
明らかにするために、この二人が生存し得たと推測せられる限りの世代にわたって、記録類に見いださ
れる「少将」もしくは「大納言」の女房名を持ち、かつそれに相当する人物の史料を列挙しておこう。〉
として、バカ息子たちによる上記の事件についての『小右記』の記事も引用・紹介しており、問題の
後一条天皇の内裏女房「少将」を藤原尹甫の娘で藤原宗相の妻としているぞオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

『小右記』には「好忠は、すでに召人の内にある」(倉本一宏編『現代語訳 小右記 1 三代の蔵人頭』
[吉川弘文館,2015]164頁の訳)とあるのに、本書は「・・・円融上皇主催の宴に場違いな身なりで
参加しようとした曾禰好忠であったが、この老歌人というのは、そもそも、この野遊びの宴に喚ばれた
歌人の一人ではなかった。彼は喚ばれもしないのに勝手に押しかけてきただけだったのである。」と
してたし( https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-12-23 )、史料読解力ゼロ(-"-)

[追記200114]

藤原実資に「好忠は、すでに召人の内にある」と告げたのは源時通で「小少将の君」の父である(^^)
本書の「結 光源氏はどこへ?」の章の「紫式部は見た」という最初の節が紹介する寛弘5年11月1日の
道長邸での出来事の描写でも手元の『紫式部日記』の各注釈書に照らすと繁田信一の誤読発見(^_^;)
コメント(12) 
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コメント 12

mimimomo

こんにちは^^
昔って姻戚関係も複雑で、系図を読むのも面倒な感じ、とわたくしだったら言えるけれど
本職(?)の方々はしっかりあれこれ読んで勉強して本を書かないとね(^_-)-☆
by mimimomo (2020-01-14 14:50) 

middrinn

「歴代天皇・・・[を]印刷して机の左側に置いてあります(^^ゞ」という
mimimomo様の爪の垢を繁田信一は煎じて飲め ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
by middrinn (2020-01-14 16:10) 

たじまーる

貴族達は煌やかで優雅なイメージとは真逆で殴り合うどころか、拉致、監禁まで頻繁にやっていたので
今回の「殴り合う貴族たち」のように無茶苦茶やって権力によって証拠隠滅があったのだから
改めて昔は今では想像出来ないくらいに行動や考え方が権力も伴って凄かったと感じますね。

平安時代の話が頭の中で出て来てますから
体調は大分回復してきたと思います(^ー^)
何時も温かいコメントありがとうございます<(_ _*)>

by たじまーる (2020-01-14 17:10) 

middrinn

「けふもみやび あすもみやび」を目指していたはずなんですけど、
今日は「みやび」から遠い話でしたね(^_^;) 休みましょ(^o^)丿
by middrinn (2020-01-14 18:34) 

enokorogusa

繁田信一『殴り合う貴族たち』読んだことがあります。
でも内容は忘却の彼方(^^;)
刺激的な書名の本はつい斜に構えてしまったり(^^;)
by enokorogusa (2020-01-14 19:01) 

middrinn

評判になってたから買って読みましたけど、
面白かったですよ、当時の小生には(^_^;)
着眼点は優れている著作ですが、今思うに、
著者が不勉強だし史料読解力に難が(^_^;)
by middrinn (2020-01-14 19:27) 

ニッキー

西日本に住んでたからかかみさんは地震にめちゃくちゃ敏感です(;^ω^)
野生を忘れたうちのにゃんずよりも地震感知力があるので
今朝も当然起きてにゃんずをあやしてました(;^ω^)
あっ、私は気づかずに爆睡してましたw
by ニッキー (2020-01-14 20:46) 

middrinn

やはり前世がナマズだったりして(^_^;)
普段の態度と違って地震にビビッている
圭太様らの姿を見てみたかったり(^_^;)
by middrinn (2020-01-14 21:25) 

tai-yama

小少将(こしょうしょう)の子は子少将(こしょうしょう)。
清涼殿に帯刀して入れると言う警備体制も・・・
実は桜を見る会の最中だったり(笑)。
by tai-yama (2020-01-14 23:21) 

ナベちはる

地震があると驚きますが、そうなる「フラグ」を感じて何か普段と違うことを感じるというのには、何かがありそうですね…(??)
by ナベちはる (2020-01-15 00:43) 

middrinn

清涼殿じゃなかったですけど、御所に物盗りが侵入して、
中宮彰子に仕える女性2人を素っ裸にしてしまった事件、
tai-yama様、『紫式部日記』に出てましたよん(^_^;)
by middrinn (2020-01-15 07:29) 

middrinn

地震予知の実験材料にされちゃったりして(^_^;)
ナベちはる様は何か感じることないのかな(^_^;)
by middrinn (2020-01-15 07:31) 

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