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191218読んだ本

手袋しててもドアノブでビリッとア~レ~・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;低次の笑? 「ビビッドアーミー」広告、
別に出ても構わないけど、せめてキャロルの画像にしてm(__)mヾ( ̄o ̄;)オイオイ思い通りにはならんぞ!

【読んだ本】

目崎徳衛(日本歴史学会編集)『紀貫之』(吉川弘文館人物叢書,1961→1985新装版)所蔵本

先月読了(^o^)丿 本書の意義は、第一に『古今和歌集』を「くだらぬ集」と断じた正岡“『万葉集』
推し”子規がその撰者で代表的歌人の紀貫之を「へたな歌よみ」と罵った所為で「貫之の地位は奈落
の底まで転げ落ちてしまった」ので、紀貫之再評価の動きの先駆的研究となった点、第二に紀貫之の
童名に「内教坊」と冠せられているのは内教坊に房を持つ伎女(舞伎をする女)か倡女(あそび女)
に通った紀望行との間に生まれて内教坊の中で育ったためではないかなどという「推測」を記した点
かと(⌒~⌒) ただ、第一の点については、本書を読むと『古今和歌集』の巻頭歌に対する評価を始め
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-13 )、子規のパラダイムから完全に
脱却できてるわけではなく、紀貫之の歌に対する評価も中途半端な感(^_^;) 第二の点も「何分にも
確たる史料を欠くので、一つの文学的仮説としてしか私見を提示できない」とあるし(「文学的」と
あるが小説的だろ)、そもそも目崎徳衛の創見ではなく萩谷朴の指摘を発展させたものらしい(^_^;)

藤岡忠美『紀貫之』(講談社学術文庫,2005)は読むのにチョー疲れながらもメチャ愉しく読了済で
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-04 )、その明らかな間違いも指摘済
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-27 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
同書の「学術文庫版まえがき」には「貫之の私生活、とくに恋愛関係についてほとんど触れていない
のは、人並みで特別なこともなかったらしいからである。歌人の伝記に私生活を持ち込むことに潔癖
になっていたせいもある。今の私には少し取り上げておきたいこともあるのだが、この版での加筆は
控えておいた。」と記されているように同書が取り上げなかった紀貫之の恋歌を本書が論じてる点も
個人的には興味深かったけど、その記述にも少しばかり怪しいとこがあったりするのがチトね(^_^;)

なお、藤岡・前掲書は取り上げた和歌の大意やポイントを書いてるが、本書は全く書いてない(゚ロ゚;)
藤岡・前掲書を読んだ際に『貫之集』や各勅撰集の注釈書を参照済だから苦じゃなかったけど(^_^;)

本書から学んだことはそれなりにあるけど、気になった点を以下に指摘〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

巻末の「参考文献」の酷さを指摘(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-09-18
したのは本書の購入時だけど、実際に本書を読み始めて、目崎徳衛の粗雑さを改めて痛感した(^_^;)

本書が紀貫之の和歌を引く時は、ほとんどの場合(『古今和歌集』等の勅撰集にも同時に入ってても)
その家集である『貫之集』を出典として挙げているが、そもそも『貫之集』の伝本には、歌仙家集本、
陽明文庫本、西本願寺本、宮内庁書陵部御所本、天理図書館蔵伝二条為氏筆本、大阪青山短期大学蔵
伝二条為氏筆『異本貫之集』等があり、更に伝行成筆『貫之集切』も存在するのに、本書は一首のみ
出典を「伝行成筆『貫之集』」とする以外は全ての出典を「『貫之集』」としか表記しない(@_@;)
ところが、「ふりぬとていたくなわびそ春雨のたゞにやむべきものならなくに」も「『貫之集』」と
本書はするが、調べたところ、同歌は『後撰和歌集』に入っていて、片桐洋一(校注)『新日本古典
文学大系6 後撰和歌集』(岩波書店,1990)巻末の「他出一覧」を見ても『古今六帖』とあるのみで、
『新編国歌大観』や『私家集大成』の『貫之集』や西本願寺本にも入っていない歌と判った( ̄◇ ̄;)
苟も歴史家たる者、典拠とする文献名は正確に記すべきだろうヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!

目崎徳衛は論理に一貫性が無く、ちょっと御都合主義ではないかと思われる点もあるんだよね(^_^;)

    ・・・『後撰集』の詞書にはこの場合だけでなく、かなり家集と異なる詞書を
    載せているが、おそらく『後撰集』編者の一人である貫之の子時文が持っていた
    父の自撰家集を根拠にしているのだろうから、一般的に信用していいと思う。・・・

つまり、家集『貫之集』と『後撰和歌集』とで異なる場合には、息子の紀時文が撰者の一人を務めた
『後撰和歌集』の方が信用できる、とする本書の論理は一見すると筋が通っているようにも(@_@;)
だけど、その論理を本書で一貫して展開しているわけではないんだよね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

例えば、すぐ次の頁に「次に『寛平后宮歌合』には貫之作と認められる歌が十首近く存し、・・・/
秋の夜の雨と聞えてふりつるは風に散り来る紅葉なりけり/のような素直な歌もあるが、・・・」と
本書は評するけど、この「秋の夜の」の歌は片桐洋一(校注)『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』
(岩波書店,1990)にも載ってて、その作者は「よみ人しらず」だったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 上記の論理を
貫くならば、この歌は紀貫之の作ではないことになるはずだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! グレートバカチンガァ!!

その3頁後でも〈貫之の恋の相手には残念ながら名の明らかな人がほとんど無い。『後撰集』(九)に
「近江」という人があるだけで、それもどこの「近江」さんかさっぱり分らない。〉と記してるけど、
片桐洋一・前掲書で確認したら、「ある所に近江といひける人のもとにつかはしける」という詞書の
「潮満たぬ海と聞けばや世とともにみるめなくして年のへぬらん」も作者は「よみ人しらず」(-"-)
その脚注に「非定家系の諸本はいずれも貫之の作とし、西本願寺本貫之集にもある。」とあるけど、
本書は息子の紀時文が撰者の一人である『後撰和歌集』の方を信用しないとねオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

そもそも上記の論理には無理があり、例えば、本書は凡河内躬恒が〈いうに足らぬ卑官だから、彼は
始終身の「しづめるをなげきて」綿々たる哀訴の歌を沢山詠んでいる。〉として「類従本『躬恒集』」
から「かれはてんことをば知らで夏草のふかくも人をたのみける哉」という歌を例示列挙してるけど、
凡河内躬恒が「かれはてむ後をば知らで夏草の深くも人の思ほゆるかな」を自身の作として自らも
撰者の一人である『古今和歌集』では「恋歌」に入れてる事実はどーすんだオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

目崎徳衛は、そもそも論理的な思考が出来ないのではないかと思わざるをえない件もあった(@_@;)

    ・・・/だから[『古今和歌集』の]かの有名な六歌仙の評にしても、真名序は
    「花山僧正(遍昭)尤も歌体を得たり、然れども其の詞甚だ花にして実少なし。」とか、
    「文琳(文屋康秀)は巧みに物を詠ず、然れども其の体俗に近し。」とか一々難癖をつけ、
    まして六人以外の連中に至っては「歌の趣を知らざる者なり。」と小気味よい程
    否定し去る。ところが仮名序になると、今私が「然れども」と訓じた個所を
    大抵順接に記す。「在原の業平は、その心あまりて、言葉足らず」、「文屋の康秀は
    詞巧みにて、そのさま身におはず」。・・・

真名序と仮名序を比較した件だけど、真名序から遍昭と文屋康秀の評を引いたのなら、仮名序からも
同様に遍昭と文屋康秀の評を引くべきなのに、業平と文屋康秀の評を引いて比較してる(゚ロ゚;)マジ!?

目崎徳衛は歴史学者でも文化史が専門なので、その著作を小生は好んで読んでいるわけだけど、時々
政治史中心という歴史学者のDNAが顔を出すことがあり、しかもトンチンカンな解釈をする(^_^;)

本書が『伊勢物語』八十二段の後半を深読みして政治的文脈で解釈したことの間違いは指摘したけど
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-08 )、他にも藤原兼輔を論じた件で、
「・・・兼輔に『聖徳太子伝暦』の著作がある。」として『聖徳太子伝暦』に2頁弱も割き、その本文
を引いて、「これを蘇我氏の行状に託して、勢威を誇る藤原北家一門としての自他への厳しい戒めを
寓したものと解するのは、思い過しであろうか。」などと指摘するも、その後、割注で「新装版注─
『伝暦』兼輔撰については、近年否定説が出ている。」と付されたのを見ると勇み足だったね(^_^;)

同じような勇み足によるミスとしては『和歌体十種』に関する次の記述が挙げられる( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

    ・・・[壬生]忠峯は天慶八年の著書『和歌体十種』で貫之の歌学を継承した
    だけでなく、貫之に「先師」の敬称を奉るに至っている・・・

    ・・・昭和の初年に安田家蔵の『和歌体十種』の古写本を発見した山田孝雄は、
    壬生忠峯が天慶八年冬十月に書いたその序文に「先師土州刺史(土佐守)」と
    あることに注意して、「先師」とは亡くなった師匠意味だから貫之は八年十月以前に
    歿したに違いないと断じた(『日本歌学の源流』)。この説に従うべきものだから、
    私も貫之の歿年を天慶八年と定めたい。・・・

藤岡・前掲書も壬生忠岑は「貫之より十数歳から二十歳近く年長」と書いてて、この記述は素人でも
不審に思い、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 土佐日記全注釈』(角川書店,1967)を披いた^_^;

    ・・・忠岑も『古今集』巻十九の長歌に「かかる侘しき身ながらに・・・」とある表現
    に従って、延喜五年までに官途についてすでに三〇年を経ていたとすれば、やはり五〇歳
    近い初老期で、迫徹朗氏が明快に指摘した如く、到底それから、四〇年も後の天慶八年に、
    『和歌体十種』を物して貫之を「先師」などと尊称することはあり得ない道理となる
    (「壬生忠岑撰『和歌体十種』を疑う」)。・・・

    ・・・その上、忠岑自身が、勅撰集・私家集・歌合を通じて延喜七年九月十日の大堰川御幸
    以後の歌作を残していないのであるから、既に延喜十年前後に死亡していると見るべきで、
    到底、天慶八年にこの[『和歌体十種』の]著のある筈がない。むしろこの『忠岑十体』
    なるものが、その内容からしても、『道済十体』をもととして作られた平安末期の偽作
    であろう。以上少々筆者の潤飾も加わっているが、これが迫氏の論旨の大半である。
    筆者も、この偽書説に賛同する。・・・

そもそも目崎徳衛は紀貫之が詠んだ歌、その大部分を評価してないみたいなんだよねヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・/なるほど貫之の歌は、宮廷の命に応じて詠進した屛風歌のように、
    インスピレーション無しにこしらえた作品がその大部分を占めるから、
    全体として奔放不羈の詩人的情熱に欠けている。・・・

    ・・・歌というものは『古今集』序で貫之がいっているように「人の心を種として」
    これを言葉に真直に表現すべきもので、純粋に内的な衝動を作因としなければならない。
    ところが当時の実状としては、「代々の御門、春の花の朝、秋の月の夜ごとに、
    侍ふ人々を召して、事につけつゝ歌を奉らしめ給」うたり、また殿上人たちが
    「酒たうべけるに召して」歌を作らせたりするような外的な動機によって
    歌を作る場合がむしろ多かった。・・・そうした場合・・・歌人より身分は高いが
    本質的には文雅を解せぬ俗人である「殿上のおのこたち」の低俗な鑑賞力に
    無理なく受け入れられるためには、なるべく表層的な技巧を凝らした、つまり
    読者に一読ポンと膝を叩かせるような機智的傾向がお誂え向きなわけであった。/・・・

この論理だと依頼原稿はダメで投稿原稿や持込原稿しか価値は無いことに∑( ̄ロ ̄|||)ニャンと!?
藤岡忠美・前掲書を読んだ限りでは、紀貫之の屛風歌にも出来のいいのがあると思うんだけど(^_^;)

また本書はやたら「文学者」等といった言葉を振り回して紀貫之を断罪してるのがね((;゚Д゚)ヒィィィ!

    ・・・/しかし余りにも順調な経歴に恵まれた才能は、彼をして人生の表面を上滑りさせ、
    立ち止ってその底をのぞき見るべき文学者の責務を怠らせた。・・・

    ・・・『土佐日記』は壮時の『古今集』にも匹敵する貫之の最大の業績だから、
    『古今集』とともに沢山の研究が行われたが、それらは専ら貫之がなぜこの日記を
    「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり。」と書き出して
    女性に仮託したのかという論点の解明に集中している。/・・・特に多いのは貫之が
    何か自分を表面に出すことを憚らねばならぬ外的理由を持っていたと考える説である。
    ・・・それぞれ一往はもっともらしいのだが、しかし諸説のように文学意識以外の
    外的な要因に拘泥し過ぎるのは賛成しがたい。・・・

    ・・・これらの[『土佐日記』の記述に見られる]悪ふざけは貫之が従五位下前土佐守の
    身分をかなぐり捨てて、思い切ってのびのびと自由に物を書いてみたい文学的欲求を
    抑えなかったからであろう。誰に憚る必要もあったわけではなく、ごく気の合った友達に
    でも読ませようとしたもので、『古今集』や屛風歌の公的性格とは全く別の気楽な著作
    だったと思われる。/・・・

    ・・・/文学における「笑」はしばしば涙と憤りを底に蔵しつつ発せられるものである。
    貫之は和歌のテクニックとして当意即妙の機智を身上としていたが、ただこれまでは
    太平の世に余りにもぬくぬくと生きて来たから、その中でごく上滑りに持ち前の才気を
    浪費したに過ぎず、いわば人生に傷つかない。したがって人生そのものの奥底を
    凝視しない、無限定に明るい「笑」しか知らなかった。ところが今運命の激変によって
    暗い現実に直面した彼が、そのお得意の「笑」によってこの現実を克服しようとなると、
    そこに醸し出される笑は今までよりも一段と複雑で高次の笑となりうるとともに、
    またこれを成功させるのは一段と困難な業でもあった。つまり彼は図らずも大きな
    文学的試錬[ママ]に直面したのである。/残念ながら貫之は、『土佐日記』を
    笑いの文学として見事に統一することができなかったようである。・・・
    
「文学者の責務」「文学意識」「文学的欲求」「文学的試錬」等々・・・文学、文学、文学・・・と
青臭いね(^_^;) 古代の作品を近代の観念で論じて否定的評価を下すのが如何にも1961年の著作(^_^;)

    ・・・/小宮[豊隆]氏がかつてリップスらを引き合いに出して語ったように、
    「笑」は自己に対して無反省にいい気持で笑う低次のフモール(ユーモア)から、
    対象に対して痛切な批判を蔵する戦闘的な笑(ザテイレ)、また笑うべき対象を超越して
    再び高次の立場で対象と和解する笑(イロニー)へと発展するものとするならば
    (『悲劇と喜劇』)、『古今集』時代のまだまだ低次のフモールから、今老いて
    人生に傷ついた体験を逆用して、彼の笑をより高次なものに飛躍するチャンスに貫之は
    恵まれたのだった。けれども貫之は日記を女性に仮託したり、得意の洒落を飛ばしたりして
    軽妙な滑り出しを見せながら、主題に深入りするにつれてその深刻さに振り廻され、
    主観的な悲嘆や敵意の虜になってしまった。貴族社会の生態を痛烈に戯画化して
    時人を苦い笑いに誘うとか、または人生の傷痕を越えて静謐な諦念に達することによって
    あの菩薩的な微笑を生むといった境地は、ついに貫之の及びがたいものだったようである。
    /前者はともかく後者の笑はやがて貴族社会に絶望した中世の隠者たちによって育てられ、
    芭蕉などに至って完成に達するのだが、貫之の時代はまだ少しばかり早すぎたわけであろう。
    だから以上の限界指摘はいわば望蜀の言で、ともかくも『土佐日記』は単に散文の領域を
    開拓した功績だけでなく、平安中期以降のいわゆる人生観照文学の出発点だったといえる
    のである。それは失敗作でなく、一つの文学的実験であった。・・・

    ・・・/私は『土佐日記』において隠者の文学への可能性を見るとともに
    またその挫折をもいったが、このことはすでに貫之帰京後の実生活が
    隠者的賢哲を志向せずに、再び官界・社交界での地歩を得ようとして
    新しい権力者に接近して行った態度を予測させるものである。・・・

「隠者の文学」キタ━━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!!
自己の研究テーマの枠組みが先ずあって、全ての作品をその尺度で評価しちゃうんだからねぇ(^_^;)
萩谷朴の如く作者の意図を知ろうと努めて『土佐日記』という作品の主題は何かを先ず理解すべきと
思うけど(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2019-12-14 )、ちなみに、萩谷朴も

    ・・・/以上、大別して表層・中層・深層の三大主題があり、しかもそれぞれを
    細分すれば、三十二項目の多数に及ぶ小主題が、この短小な作品の中に、
    交々展開されているのであるから、一つの作品としての纏まった印象を読者に
    与えることは困難であり、読者にとっては雑然たる印象を免れ難い失敗作であると
    極論することも可能なわけである。
    
と再三指摘してる(^_^;) 「低次」の「笑」云々は貫之が想定した読者対象を考えれば的外れか(^_^;)

・こんなデタラメだらけでも目崎徳衛が「西行研究の第一人者」だなんて吃驚仰天だよヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2018-10-28

・詞花集より久安百首の方が前なのに詞花集への不満から久安百首を崇徳院は詠進させたと妄論( ̄◇ ̄;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-10-07

・事実関係を勘違いして西行の意図を邪推し俗物に描く目崎徳衛『西行』吉川弘文館人物叢書ヾ(`◇´)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-11-20
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-01-11

・古今集の紀貫之の有名な歌の詞書に出てくる「石井」を地名と勘違い∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-09-18
 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-05

・小野篁も6首なのに三条院を「勅撰入集わずかに八首で、とても歌人などとは申しかねる」と暴言(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-06

・三条院の新古今集の歌の「月影」は「藤原統理の隠喩」なのに「月を詠んだもの」と浅~い解釈(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-07

・小倉百人一首に関する歴史認識の誤りと藤原良房の古今集の歌を「のびやかな作」とズレた評価(゚ロ゚;)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-09-24

・ケアレスミスなんだろうけど、「敦良親王」を「敦成親王」と歴史家として恥ずかしい誤記(ノ_-;)ハア…

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2017-10-09

・目崎徳衛『西行』吉川弘文館人物叢書の「俊恵の生没は不明」は「俊恵の没年は不明」の間違い(-"-)

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2018-11-13

・西行は文治6=建久1(1190)年に73歳で亡くなったので「晩年」に非ずヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-02-24

・品川和子(全訳注)『土佐日記』(講談社学術文庫,1983)をテキストとして読んだよんv( ̄∇ ̄)ニヤッ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-20

・『新潮日本古典集成 土佐日記 貫之集』(新潮社,1988→2018新装版)はサブテキストC= (-。- ) フゥー

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-10-18

・『土佐日記』の1月8日「障ることありて」について萩谷朴は思いもよらぬことまで検討ヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

 ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2019-11-06

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enokorogusa

年末年始の暇つぶしにでも、と思い、こちらで何度か紹介されていた、片桐洋一『古今和歌集全評釈』(講談社学術文庫,2019)を図書館で借りてきました。
事前にちゃんと調べてなかったので、現物を見てその分厚さにびっくり(^^;)
これまで自分が手にした文庫本(少ないですが)でいちばん厚い・・・
上巻だけにしておいてよかった・・・
こりゃ何度か借りないと全部は読めそうにないかな・・・(^^;)
by enokorogusa (2019-12-18 21:10) 

middrinn

管見によれば、『古今和歌集』の注釈書で情報量が一番多いですけど、
1998年刊の単行本の縮刷版にすぎないので情報が古くなってることと、
片桐洋一はセンスが無いのか歌の現代語訳がイマイチなのが難(^_^;)
使ってると知りたいことが書いてなくて物足りないこともありますが、
enokorogusa様も手元に置きたくなり、奥様に・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
by middrinn (2019-12-18 21:22) 

ニッキー

ビビットアーミーの広告、結構ウザイんですけど・・・(ー ー;)
今日、かみさんは美容院に行って
バックを預けようと店の方に渡す瞬間、
手が触れて火花が散ったそうです(⌒-⌒; )
「嫌な季節がきたなぁ・・・」ってハンドクリームを
塗りまくってましたw
by ニッキー (2019-12-18 21:30) 

middrinn

しかも、実際にはエロくないらしいのに、エロい感じの広告ですからね(^_^;)
先日は手袋をしてたのにビリビリと凄い衝撃波が走りましたよヒィィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
by middrinn (2019-12-18 21:34) 

tai-yama

きっと、貫之がこの解説書を読んだら「自由に書かせてくれよ」
と思ってしまうかも(笑)。なんで、原作者より、その著書を研究
しているだけの人の方が偉いのかと・・・・
by tai-yama (2019-12-18 23:20) 

nikki

ビビットアーミーの広告うっとおしいです。

検索ボタン言われてみれば日本もアメリカもおなじですね。
by nikki (2019-12-18 23:51) 

ナベちはる

ビビッドアーミーの広告、出てくる頻度も嫌ですが内容も酷いですよね(^^;A

あの広告は見ていていい感じがしないので、宣伝担当はなぜアレでOKを出しているのだろうかと思います。
by ナベちはる (2019-12-19 00:59) 

そら

最近、何やらやたらと広告出ますね・・・
ドアノブビリビリはまず手のひらで壁を!
by そら (2019-12-19 06:14) 

middrinn

ですよねぇ(^_^;) 子供向けに書かれた洒落を、
tai-yama様、低次の笑と言われてもね(^_^;)
1961年の著作なので、上から目線かも(^_^;)
by middrinn (2019-12-19 08:32) 

middrinn

ビビッドアーミーの広告は神出鬼没ですよね(^_^;)
nikki様、消せる方法があるんでしょうかね(@_@;)
by middrinn (2019-12-19 08:35) 

middrinn

エロで釣ろうとしてますけど、「ビビッドアーミーとは」で調べてみると、
ナベちはる様、実際のゲーム内容にはエロ要素は無いらしいですね(^_^;)
by middrinn (2019-12-19 08:37) 

middrinn

いつでも、どこでも、広告が出ますねぇ(^_^;)
そら様、そーゆー手があるんですかぁ( ̄◇ ̄;)
by middrinn (2019-12-19 08:40) 

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