190226読んだ本
外出する際は、ニット帽、可愛い手袋、萌え袖というスタイルだが、チト暑苦しくなってきた(-ω-、)
【読んだ本】
杉本苑子『檀林皇后私譜』上巻(中公文庫,1984)所蔵本
読了(^^) 苑子タンが『山河寂寥~ある女官の生涯』下巻(文春文庫,2002)「あとがき」で自作解説(^^)
・・・『檀林皇后私譜』だが、題名が示す通りこの小説は、檀林皇后橘嘉智子を
軸にして桓武朝から平城・嵯峨・淳和・仁明朝にかかる時代を描いている。
したがって藤原氏ではこの期間、百川・種継・内麻呂・冬嗣ら、したたかな策士が
血なまぐさい権謀のドラマをくりひろげた。
橘嘉智子と神野皇子(後の嵯峨天皇)の婚約から物語が始まる歴史小説であり、苑子タンの作品らしく、
へぇ~と思わせる歴史解釈もあったりして面白いんだけど、小生の作品評価は◎に近い〇だね(-ω-、)
たとえば桓武老帝の後宮に、幾人の女性がいるかご存知? 亡くなった藤原乙牟漏皇后
を筆頭に妃、夫人、嬪の数はお子を生んだ方だけでも二十人を越えるでしょう。
読み始めて50頁ほどで、この件があったから、その後は、眉に唾をつけて読む羽目になったぞ(´ヘ`;)
というのは、目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)の「宮廷文化の成立
──桓武・嵯峨両天皇をめぐって」の中に、次のような件があったからね(-ω-、)
後宮職員令によれば、後宮には妃[ひ]二員(四品以上)、夫人[ぶにん]三員
(三位以上)、嬪[ひん]四員(五位以上)が備わる規定であった。しかし
奈良時代には、これら特に妃・嬪の地位に該当する人名はほとんどみえない。
なぜならばこの時期の天皇の半ばは女帝であり、男帝も概して老少か虚弱で
あったから、後宮の不振も当然であった。桓武朝に至って、後宮ははじめて
画期的発展をみたのである。/そもそも後宮女性の選択には、君主は自由意志を
最も端的にはたらかせたいはずである。ところが妃は皇親より選ばれるべきことと
令には規定されているから、選択の余地が小さい。・・・その反面、妃・夫人・嬪
たるべき資格を欠く女性が、ときとして天皇の寝に侍するのもまたやむをえない。
女御・更衣などと呼ばれる令外の存在が、ここにおのずから出現することになる。
女御は桓武天皇の女御紀乙魚・百済王教法を初見とし、更衣は嵯峨天皇の更衣
秋篠康子・山田近子を初見とするのである(『続日本後紀』)。
妃、夫人、嬪には上記定員があり、「二十人を越える」なんてありえんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
この後、坂上全子を「夫人」、橘田村子を「夫人」、橘御井子を「夫人」、高野新笠(桓武帝の生母)
を「女御」、藤原旅子を「女御」、高野新笠を「夫帝の死後は皇太后の尊称で呼ばれて」(光仁帝崩御
後は「皇太夫人」が正しく、桓武帝の崩御後に「贈皇太后」)、藤原吉子を「女御」といった感じで、
間違った表記が繰り返し出てきて、ストーリーを愉しんで読めねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
他方で、橘田村子と橘御井子を「女御」、藤原吉子を「夫人」と正しく表記してる場面もある(@_@;)
チト必要があって、『山河寂寥~ある女官の生涯』上巻(文春文庫,2002)を披いたら、「・・・淳和帝
の生母は藤原百川の息女でな、旅子と呼ばれる女御であった。」とあって(旅子は正しくは「夫人」)、
苑子タン、この『檀林皇后私譜』以後も依然として後宮の制度を勉強しなかったみたいだね(ノ_-;)ハア…
藤原種継暗殺事件に連座して皇太弟を廃され淡路に流されることになった早良親王の呼称でも(@_@;)
「[途中で絶命したが]遺骸は淡路に運んだのだよ。だから親王は、淡路廃帝と
しばらくのあいだ呼ばれていたんだ」
「淡路廃帝」は恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱で廃位され淡路に流された淳仁天皇じゃんか( ̄◇ ̄;)エッ!?
本書にも、数頁後に「・・・早良太弟には『崇道天皇』なる尊号を追贈して、・・・」とあるぞ(-ω-、)
しかし、一番びっくりしたのは、本書の次の件∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!? 何か意図があるのか(@_@;)
ついに桓武帝は、藤原緒嗣、菅野真道の両参議を枕頭に招き、/「天下に徳政を布きたい
と思う。朕の帝王としての業績に欠けるものがあるならば、遠慮はいらぬ。このさい
歯に衣きせずに進言してみてくれ」/とまで求めた。/・・・/・・・彼らが異口同音に
奏したのは、/「みかどの、畢生の大業は、征夷と造都でした。そしてそれなりに、
偉大な成果をあげられましたけれども、同時にまた、この延々数十年に亙る国家的事業の
継続こそが、国を疲弊せしめ、民を苦しめた禍因でもあります」/との直言だった。
前に北山茂夫『日本の歴史4 平安京』(中公文庫,1973)へのちょっと揚げ足取り的な批判を加えた記事
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-02-20 )を書いた時に引用したんだけど、
森田悌(全現代語訳)『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)の当該箇所は次の通りである(-"-)
緒嗣は「現在天下の人民が苦しんでいるのは軍事(蝦夷征討)と造作(平安京造営)
ですので、両者を停止すれば、百姓を安楽にすることができるでしょう」という案を
述べたが、真道は異論を立てて譲らず、緒嗣の提案に同意しなかった。
菅野真道は「異口同音」どころか「異論を立てて」「同意しなかった」ぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
んで、桓武帝は藤原緒嗣の意見を採用して、計画中の第四次蝦夷征伐と平安京の造営を中止したわけで、
コレは藤原緒嗣の功績として、どの歴史書にも載ってるのに、この後にも本書には次の叙述が( ̄◇ ̄;)
・・・緒嗣と真道は先帝桓武の晩年、/『方今、天下苦しむところは軍事と造都なり。
この両事を停めば百姓、安んぜん』/敢然と諫めてのけた政治的識見の持ちぬしである。
この苑子タンの菅野真道推しがイミフなんだけど、もしかして苑子タンの御先祖だったり((;゚Д゚)ヒィィィ!
読み進めると、平城天皇による新政策として「七道[ママ]観察使」の設置が詳しく紹介されてるけど、
この制度は藤原仲成と薬子の兄妹の献言によるという記述が3箇所あって吃驚ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 例えば、
仲成と薬子の建言を容れて創置して以来、四年にしかならぬ短期間ではあったけれども、
それなりに地方行政に実績をあげてきた観察使制度なのだ。
古代史学の泰斗・坂本太郎の『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)の「日本後紀・続日本後紀」
は「大同二年(八〇七)参議をやめて諸道の観察使をおいたのは、緒嗣の意見によったものであるが、
・・・」としてるし、目崎徳衛・前掲書の「薬子の変──二所朝廷の対立」も「これを進言したのは、
おそらく徳政相論の立役者緒嗣であろう。それゆえ観察使のなかでも、緒嗣と藤原園人の朝廷への建議
は、もっとも光彩をはなっている。」とするように、観察使も藤原緒嗣の功績とするのが一般的(-"-)
苑子タンは藤原緒嗣のことがお嫌いで、作品の中から抹殺したいんだねヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
随筆「超えられるか」『随筆集 霧の窓』(光風社出版,1992)所収で次のように断言してたくせに(-"-)
そこへゆくと小説は、感情移入どころか作家の全人格の投影といえる。でも、それにも
おのずから限度があるわけで、特に歴史小説の場合、芸術だから何をしてもよいという
わけにはいかない。たとえばテーマをあらかじめ決めておくのは当然としても、
事実をねじ曲げてまで強引に、歴史上の事象なり人物なりを、そのテーマにあてはめて
動かしてしまうなどという態度は、やや極端に言えば歴史への冒瀆ではあるまいか。もし、
どうしてもそれをしたいなら、仮[ママ]空の事象・人物を創り出して書くべきだろう。
【読んだ本】
杉本苑子『檀林皇后私譜』上巻(中公文庫,1984)所蔵本
読了(^^) 苑子タンが『山河寂寥~ある女官の生涯』下巻(文春文庫,2002)「あとがき」で自作解説(^^)
・・・『檀林皇后私譜』だが、題名が示す通りこの小説は、檀林皇后橘嘉智子を
軸にして桓武朝から平城・嵯峨・淳和・仁明朝にかかる時代を描いている。
したがって藤原氏ではこの期間、百川・種継・内麻呂・冬嗣ら、したたかな策士が
血なまぐさい権謀のドラマをくりひろげた。
橘嘉智子と神野皇子(後の嵯峨天皇)の婚約から物語が始まる歴史小説であり、苑子タンの作品らしく、
へぇ~と思わせる歴史解釈もあったりして面白いんだけど、小生の作品評価は◎に近い〇だね(-ω-、)
たとえば桓武老帝の後宮に、幾人の女性がいるかご存知? 亡くなった藤原乙牟漏皇后
を筆頭に妃、夫人、嬪の数はお子を生んだ方だけでも二十人を越えるでしょう。
読み始めて50頁ほどで、この件があったから、その後は、眉に唾をつけて読む羽目になったぞ(´ヘ`;)
というのは、目崎徳衛『王朝のみやび』(吉川弘文館歴史文化セレクション,2007)の「宮廷文化の成立
──桓武・嵯峨両天皇をめぐって」の中に、次のような件があったからね(-ω-、)
後宮職員令によれば、後宮には妃[ひ]二員(四品以上)、夫人[ぶにん]三員
(三位以上)、嬪[ひん]四員(五位以上)が備わる規定であった。しかし
奈良時代には、これら特に妃・嬪の地位に該当する人名はほとんどみえない。
なぜならばこの時期の天皇の半ばは女帝であり、男帝も概して老少か虚弱で
あったから、後宮の不振も当然であった。桓武朝に至って、後宮ははじめて
画期的発展をみたのである。/そもそも後宮女性の選択には、君主は自由意志を
最も端的にはたらかせたいはずである。ところが妃は皇親より選ばれるべきことと
令には規定されているから、選択の余地が小さい。・・・その反面、妃・夫人・嬪
たるべき資格を欠く女性が、ときとして天皇の寝に侍するのもまたやむをえない。
女御・更衣などと呼ばれる令外の存在が、ここにおのずから出現することになる。
女御は桓武天皇の女御紀乙魚・百済王教法を初見とし、更衣は嵯峨天皇の更衣
秋篠康子・山田近子を初見とするのである(『続日本後紀』)。
妃、夫人、嬪には上記定員があり、「二十人を越える」なんてありえんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
この後、坂上全子を「夫人」、橘田村子を「夫人」、橘御井子を「夫人」、高野新笠(桓武帝の生母)
を「女御」、藤原旅子を「女御」、高野新笠を「夫帝の死後は皇太后の尊称で呼ばれて」(光仁帝崩御
後は「皇太夫人」が正しく、桓武帝の崩御後に「贈皇太后」)、藤原吉子を「女御」といった感じで、
間違った表記が繰り返し出てきて、ストーリーを愉しんで読めねーよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
他方で、橘田村子と橘御井子を「女御」、藤原吉子を「夫人」と正しく表記してる場面もある(@_@;)
チト必要があって、『山河寂寥~ある女官の生涯』上巻(文春文庫,2002)を披いたら、「・・・淳和帝
の生母は藤原百川の息女でな、旅子と呼ばれる女御であった。」とあって(旅子は正しくは「夫人」)、
苑子タン、この『檀林皇后私譜』以後も依然として後宮の制度を勉強しなかったみたいだね(ノ_-;)ハア…
藤原種継暗殺事件に連座して皇太弟を廃され淡路に流されることになった早良親王の呼称でも(@_@;)
「[途中で絶命したが]遺骸は淡路に運んだのだよ。だから親王は、淡路廃帝と
しばらくのあいだ呼ばれていたんだ」
「淡路廃帝」は恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱で廃位され淡路に流された淳仁天皇じゃんか( ̄◇ ̄;)エッ!?
本書にも、数頁後に「・・・早良太弟には『崇道天皇』なる尊号を追贈して、・・・」とあるぞ(-ω-、)
しかし、一番びっくりしたのは、本書の次の件∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!? 何か意図があるのか(@_@;)
ついに桓武帝は、藤原緒嗣、菅野真道の両参議を枕頭に招き、/「天下に徳政を布きたい
と思う。朕の帝王としての業績に欠けるものがあるならば、遠慮はいらぬ。このさい
歯に衣きせずに進言してみてくれ」/とまで求めた。/・・・/・・・彼らが異口同音に
奏したのは、/「みかどの、畢生の大業は、征夷と造都でした。そしてそれなりに、
偉大な成果をあげられましたけれども、同時にまた、この延々数十年に亙る国家的事業の
継続こそが、国を疲弊せしめ、民を苦しめた禍因でもあります」/との直言だった。
前に北山茂夫『日本の歴史4 平安京』(中公文庫,1973)へのちょっと揚げ足取り的な批判を加えた記事
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-02-20 )を書いた時に引用したんだけど、
森田悌(全現代語訳)『日本後紀(上)』(講談社学術文庫,2006)の当該箇所は次の通りである(-"-)
緒嗣は「現在天下の人民が苦しんでいるのは軍事(蝦夷征討)と造作(平安京造営)
ですので、両者を停止すれば、百姓を安楽にすることができるでしょう」という案を
述べたが、真道は異論を立てて譲らず、緒嗣の提案に同意しなかった。
菅野真道は「異口同音」どころか「異論を立てて」「同意しなかった」ぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
んで、桓武帝は藤原緒嗣の意見を採用して、計画中の第四次蝦夷征伐と平安京の造営を中止したわけで、
コレは藤原緒嗣の功績として、どの歴史書にも載ってるのに、この後にも本書には次の叙述が( ̄◇ ̄;)
・・・緒嗣と真道は先帝桓武の晩年、/『方今、天下苦しむところは軍事と造都なり。
この両事を停めば百姓、安んぜん』/敢然と諫めてのけた政治的識見の持ちぬしである。
この苑子タンの菅野真道推しがイミフなんだけど、もしかして苑子タンの御先祖だったり((;゚Д゚)ヒィィィ!
読み進めると、平城天皇による新政策として「七道[ママ]観察使」の設置が詳しく紹介されてるけど、
この制度は藤原仲成と薬子の兄妹の献言によるという記述が3箇所あって吃驚ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 例えば、
仲成と薬子の建言を容れて創置して以来、四年にしかならぬ短期間ではあったけれども、
それなりに地方行政に実績をあげてきた観察使制度なのだ。
古代史学の泰斗・坂本太郎の『史書を読む』(中公文庫,1987→3版1992)の「日本後紀・続日本後紀」
は「大同二年(八〇七)参議をやめて諸道の観察使をおいたのは、緒嗣の意見によったものであるが、
・・・」としてるし、目崎徳衛・前掲書の「薬子の変──二所朝廷の対立」も「これを進言したのは、
おそらく徳政相論の立役者緒嗣であろう。それゆえ観察使のなかでも、緒嗣と藤原園人の朝廷への建議
は、もっとも光彩をはなっている。」とするように、観察使も藤原緒嗣の功績とするのが一般的(-"-)
苑子タンは藤原緒嗣のことがお嫌いで、作品の中から抹殺したいんだねヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
随筆「超えられるか」『随筆集 霧の窓』(光風社出版,1992)所収で次のように断言してたくせに(-"-)
そこへゆくと小説は、感情移入どころか作家の全人格の投影といえる。でも、それにも
おのずから限度があるわけで、特に歴史小説の場合、芸術だから何をしてもよいという
わけにはいかない。たとえばテーマをあらかじめ決めておくのは当然としても、
事実をねじ曲げてまで強引に、歴史上の事象なり人物なりを、そのテーマにあてはめて
動かしてしまうなどという態度は、やや極端に言えば歴史への冒瀆ではあるまいか。もし、
どうしてもそれをしたいなら、仮[ママ]空の事象・人物を創り出して書くべきだろう。
こんばんは。
帽子だけはまだ使ったことがないです。
今日は耳あてなしで大丈夫でした。
by センニン (2019-02-26 21:29)
何が落ちてくるか分らないし、帽子は必須アイテムですよ(´ヘ`;)
by middrinn (2019-02-26 21:33)
今日の気温だとニット帽に手袋は暑いかも(⌒-⌒; )
苑子さん、かなりの贔屓というか偏りがw
ついつい・・・何でしょうかねぇ(⌒-⌒; )
by ニッキー (2019-02-26 21:35)
何気に暑くて汗かいちゃいますね(^_^;)
菅野真道がイケメンなのかなぁと、つい
画像検索までしちゃいましたよ(´ヘ`;)
by middrinn (2019-02-26 21:50)
天下に徳政を布きたい。私の政策にかけているのは・・・と言って
「2%の物価上昇」「消費税10%」をやるべきと言っている
官僚さんと変わらなかったり(笑)。
by tai-yama (2019-02-26 23:39)
徐々に暖かくなっていますね。
春が近づいている証拠ともいえると思いますが、だからといってまだまだ上着にはお世話になりますよね…
by ナベちはる (2019-02-27 00:38)
先日、萌え袖をしてる大学生くらいの男子を見ました。
by にゃごにゃご (2019-02-27 05:54)
方今、天下苦しむところは物価上昇と消費増税なりと、
tai-yama様、訴えて、歴史に名を残して下さい(^^)
by middrinn (2019-02-27 07:35)
日中は春めいてきましたけど、たしかに、まだ必要ですよね(^^)
ナベちはる様、昨日、お誕生日おめでとうございます\(^o^)/
by middrinn (2019-02-27 07:37)
にゃごにゃご様も萌え袖しちゃいましょうよ(〃'∇'〃)
by middrinn (2019-02-27 07:37)
おはようございます^^
萌え袖ってどんなお袖かな?
杉本苑子さん、色々読んでいらっしゃいますね~わたくし未だ「山河寂寥・・・」読んでないの(--
昔は決め事が多かったのね。もちろん今もあるけれど。皇室の呼称もいろいろ面倒(?)な決まりがあるらしいし・・・
by mimimomo (2019-02-27 07:43)
「萌え袖とは」で検索して下さ~い(^o^)丿
苑子タン、ストーリーテラーなのでとりわけ
短篇はメチャ面白いし、また歴史の勉強にも
なりますよ(^^) 現代でも「今上天皇」では
なく既に「平成天皇」と書いてる馬鹿が(-"-)
by middrinn (2019-02-27 07:52)
萌え袖の意味わかりましたが、要するに中国製の長袖の洋服買うとみな「萌え袖」。大体日本製と違って袖が長すぎるから、どれを着ても萌え袖になるよ( ̄▽ ̄
by mimimomo (2019-02-27 13:10)
mimimomo様も萌え袖で更に可愛らしく(〃'∇'〃)
by middrinn (2019-02-27 13:52)
大分暖かくなってきましたが
今日はまた気温が低く寒く感じます。
萌え袖?何かと思いググってしまいました(^^;
by 美美 (2019-02-27 16:38)
よく海に舟で釣りに行かれるし、
寒さにはお強そうですけど(^^)
萌え袖されて更に可愛く(^o^)丿
by middrinn (2019-02-27 18:52)
一時期防寒対策品が不要そうな温かさでしたが
今日はまた寒い日になりそうですね・・・
娘は今日から学校行きます♪
何時も温かいコメントありがとう御座います<(_ _*)>
by たじまーる (2019-02-28 07:05)
お蔭様でといいますか、貼るカイロなど
全て期限内に使い切りそうです(^_^;)
お嬢様、登校できて良かった(〃'∇'〃)
by middrinn (2019-02-28 07:37)
ご無沙汰です。段々と暖かくなってきましたねー
股引きならぬタイツ生活もそろそろ卒業になってきたかなと思う今日このごろ。
by ワンモア (2019-03-01 23:34)
今年はタイツではなく2月半ばからズボンを重ね着してます(^o^)丿
by middrinn (2019-03-02 07:56)