181007読んだ本
ブログ名を「けふもバカチン あすもバカチン」に変更すべきかしら(ノ_-;)ハア… ちなみに、拙ブログ
「けふもよむべし あすもよむべし」は亀田鵬斎の「けふものむべし、あすものむべし」、本家ブログ
「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」は御存知「ルパン三世」の十三代石川五ェ門の名セリフ
「また、つまらぬ物を斬ってしまった」を、それぞれ捩ってて、ともにブログ内容も明白かと(^-^)
他人様のブログ名にも色々なのあるけど、プロフィールとか見ても、その由来が解らぬものが(@_@;)
【読んだ本】
目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川文庫,2005)所蔵本
今朝、百人一首の崇徳院の歌について確認することがあり、本書も開いたら、「ルパンを追ってて、
とんでもない物を見つけてしまった!どうしよう?」という銭形警部のセリフ棒読みヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
つまり崇徳院は後鳥羽院以前では最大の天皇歌人で、それだけ歌道の見識は高く、
自作に対しても批評眼はきびしかったらしい。『詞花和歌集』は清輔の父左京大夫
顕輔([百人一首の]七九「秋風に」)が院の勅命によって編纂に当り、天養元年
(一一四四)六月奏覧したものだが、これを受け取った院は自作を含めて何人かの作を
容赦なく削除したという(『袋草紙』)。勅命を下すだけでなく選歌そのものに介入した
という点でも、崇徳院は[新古今和歌集を実質独選した]後鳥羽院の先駆をなした帝王
である。/『詞花和歌集』は『金葉和歌集』成立後わずか二十余年しか経ていないので
顕著な特色を出すに至らず、また選歌に対する不満が歌人たちから続出する有様だったので
(井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』)、崇徳院はさらに本格的なアンソロジーへの意欲を
燃やしたようで、それが『久安百首』詠進の下命となった。それは院自身や側近の
徳大寺公能・藤原教長ら十余人の作を集めたものである。久安六年(一一五〇)ひとまず
奏覧されたものを、詠進者のひとり藤原顕広(のちの俊成)に命じて部類させ、
さらに補訂を加えるなど、執念をもって完成に努めたが、保元の乱の勃発によって
完成本はついに奏覧されるに至らなかった。
要は、崇徳院は藤原顕輔に撰進させ天養元年(1144年)に奏覧した『詞花和歌集』に不満だったので、
「さらに本格的なアンソロジー」として詠進を命じた『久安百首』は久安六年(1150年)にひとまず
奏覧された、として、本書は「崇徳院は後鳥羽院の先駆をなした帝王である」と言いたいらしい(@_@)
その結論に対する異論はないが、上記の論証過程は事実関係がデタラメヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
先ず『詞花和歌集』の成立過程だが、川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9
金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)の工藤重矩による「解説」から引くと、
『詞花和歌集』は、近衛天皇治世の天養元年(一一四四)六月二日、崇徳院(新院)の
院宣によって撰集が開始された。・・・/撰集作業は仁平元年(一一五一)一応の完成をみ、
院に奏覧したところ、・・・削除を指示された。・・・再び奏覧して嘉納された。
再奏覧の年も、・・・仁平元年のことと推定されている・・・
つまり、目崎徳衛は「『詞花和歌集』は・・・天養元年(一一四四)六月奏覧した」としているけど、
天養元年(1144年)は撰集を命じて開始した年で、その奏覧・完成は仁平元年(1151年)だぞ(-"-)
『久安百首』は、久保田淳『新古今和歌集全注釈 六』(角川学芸出版,2013)の「引用書目解題」が、
鳥羽院政期の百首歌。久安六年(一一五〇)崇徳院に詠進された。・・・康治元年
(一一四二)から同二年頃の間に下命され、予定作者の死没による変更があって、
久安六年詠進されたが、・・・
と説明するように、そのスタートは康治元~二年(1142~1143年)で、奏覧は久安六年(1150年)(-"-)
両者を時系列で並べてみると、1142~1143年に『久安百首』を下命、1144年に『詞花和歌集』を下命、
1150年に『久安百首』を奏覧、1151年に『詞花和歌集』を奏覧、という流れになるのだ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
つまり、きちんと事実関係をフォローすれば、『久安百首』の方が『詞花和歌集』よりも早いわけで、
『詞花和歌集』への不満から『久安百首』を詠進させたなんてありえんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
崇徳院が奏覧した『詞花和歌集』に不満だったのは事実だし、本書の上記叙述は事実経過を見誤って
組み立てられた空中楼閣であって単なる誤記とかの類いではないことを、念のため付言しておく(-"-)
初読時に見落としてたから大きなこと言えぬが、1983年の単行本刊行時に専門家は看過したのか(@_@)
30度超えたぞ∑( ̄ロ ̄|||)なんと!? 昨夜もアホ記述発見した上に暑苦くて寝るの遅くなった(-ω-、)
「けふもよむべし あすもよむべし」は亀田鵬斎の「けふものむべし、あすものむべし」、本家ブログ
「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」は御存知「ルパン三世」の十三代石川五ェ門の名セリフ
「また、つまらぬ物を斬ってしまった」を、それぞれ捩ってて、ともにブログ内容も明白かと(^-^)
他人様のブログ名にも色々なのあるけど、プロフィールとか見ても、その由来が解らぬものが(@_@;)
【読んだ本】
目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川文庫,2005)所蔵本
今朝、百人一首の崇徳院の歌について確認することがあり、本書も開いたら、「ルパンを追ってて、
とんでもない物を見つけてしまった!どうしよう?」という銭形警部のセリフ棒読みヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
つまり崇徳院は後鳥羽院以前では最大の天皇歌人で、それだけ歌道の見識は高く、
自作に対しても批評眼はきびしかったらしい。『詞花和歌集』は清輔の父左京大夫
顕輔([百人一首の]七九「秋風に」)が院の勅命によって編纂に当り、天養元年
(一一四四)六月奏覧したものだが、これを受け取った院は自作を含めて何人かの作を
容赦なく削除したという(『袋草紙』)。勅命を下すだけでなく選歌そのものに介入した
という点でも、崇徳院は[新古今和歌集を実質独選した]後鳥羽院の先駆をなした帝王
である。/『詞花和歌集』は『金葉和歌集』成立後わずか二十余年しか経ていないので
顕著な特色を出すに至らず、また選歌に対する不満が歌人たちから続出する有様だったので
(井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』)、崇徳院はさらに本格的なアンソロジーへの意欲を
燃やしたようで、それが『久安百首』詠進の下命となった。それは院自身や側近の
徳大寺公能・藤原教長ら十余人の作を集めたものである。久安六年(一一五〇)ひとまず
奏覧されたものを、詠進者のひとり藤原顕広(のちの俊成)に命じて部類させ、
さらに補訂を加えるなど、執念をもって完成に努めたが、保元の乱の勃発によって
完成本はついに奏覧されるに至らなかった。
要は、崇徳院は藤原顕輔に撰進させ天養元年(1144年)に奏覧した『詞花和歌集』に不満だったので、
「さらに本格的なアンソロジー」として詠進を命じた『久安百首』は久安六年(1150年)にひとまず
奏覧された、として、本書は「崇徳院は後鳥羽院の先駆をなした帝王である」と言いたいらしい(@_@)
その結論に対する異論はないが、上記の論証過程は事実関係がデタラメヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
先ず『詞花和歌集』の成立過程だが、川村晃生&柏木由夫&工藤重矩(校注)『新日本古典文学大系9
金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)の工藤重矩による「解説」から引くと、
『詞花和歌集』は、近衛天皇治世の天養元年(一一四四)六月二日、崇徳院(新院)の
院宣によって撰集が開始された。・・・/撰集作業は仁平元年(一一五一)一応の完成をみ、
院に奏覧したところ、・・・削除を指示された。・・・再び奏覧して嘉納された。
再奏覧の年も、・・・仁平元年のことと推定されている・・・
つまり、目崎徳衛は「『詞花和歌集』は・・・天養元年(一一四四)六月奏覧した」としているけど、
天養元年(1144年)は撰集を命じて開始した年で、その奏覧・完成は仁平元年(1151年)だぞ(-"-)
『久安百首』は、久保田淳『新古今和歌集全注釈 六』(角川学芸出版,2013)の「引用書目解題」が、
鳥羽院政期の百首歌。久安六年(一一五〇)崇徳院に詠進された。・・・康治元年
(一一四二)から同二年頃の間に下命され、予定作者の死没による変更があって、
久安六年詠進されたが、・・・
と説明するように、そのスタートは康治元~二年(1142~1143年)で、奏覧は久安六年(1150年)(-"-)
両者を時系列で並べてみると、1142~1143年に『久安百首』を下命、1144年に『詞花和歌集』を下命、
1150年に『久安百首』を奏覧、1151年に『詞花和歌集』を奏覧、という流れになるのだ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
つまり、きちんと事実関係をフォローすれば、『久安百首』の方が『詞花和歌集』よりも早いわけで、
『詞花和歌集』への不満から『久安百首』を詠進させたなんてありえんヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
崇徳院が奏覧した『詞花和歌集』に不満だったのは事実だし、本書の上記叙述は事実経過を見誤って
組み立てられた空中楼閣であって単なる誤記とかの類いではないことを、念のため付言しておく(-"-)
初読時に見落としてたから大きなこと言えぬが、1983年の単行本刊行時に専門家は看過したのか(@_@)
30度超えたぞ∑( ̄ロ ̄|||)なんと!? 昨夜もアホ記述発見した上に暑苦くて寝るの遅くなった(-ω-、)
タグ:和歌
事実関係をフォローするだけなのですが、それが出来ていないのは許せない話ですよね。
(2005年当時で)約20年前の本だからなかなか見つからずに、適当なことを書いた。なんてことはないと信じたいです…
by ナベちはる (2018-10-08 00:55)
聞きたいですか?
でも教えられないなあ。
ちなみに「鰯」は無関係です。
by 浅葱 (2018-10-08 01:44)
何年の出来事なのかという事実関係を押さえることは歴史学者の初歩なんですがね(-"-)
ナベちはる様が「とある科学の一方通行」TV放映をいち早くフォローしてるのを見習え!
by middrinn (2018-10-08 06:07)
浅葱様の本名が「いわし」だから「いわしの毎日」かしら(^_^;)
「浅葱」の由来も含め気になりますヾ(`◇´)ノ彡モッタイブラズ! オシエロ!!
by middrinn (2018-10-08 06:11)
そんな名前の人いるわけないじゃん
と思って調べたら「いわし」さん、いるんですね。
ビックリしたなあ。
by 浅葱 (2018-10-08 07:29)
「岩志」という名字のセンセイが思い浮かんだので(^_^;)
by middrinn (2018-10-08 08:22)
Jazz Ballad の ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!! が
新たな ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチン を呼び込んだのですね( `ー´)ノ
アハハハハ、、笑いごとじゃないですよね~(*´Д`)~
お疲れ出ませんようにm(__)m
by mirro (2018-10-08 14:09)
いやいや、初読時に見落としてたのを気付かせてくれたわけで、
マジ感謝しておりますm(__)m 何年の出来事か確認すること、
常に疑いの目をもって読むこと、やはり大切ですよね(〃'∇'〃)
mirro様も男の言葉に騙されないよーにオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
by middrinn (2018-10-08 18:05)
いやいや、いいんじゃないですか、タイトル!
私は良いと思いますよぉ
百人一首の世界も色々とあるものですね・・・
ちなみに私のブログのタイトルは「ぬる〜い」がテーマです(^^;
by そら (2018-10-08 19:02)
そら様の「陽だまりの中で。」は詩的ですよねぇ(〃'∇'〃)
カワセミさんも撮れたようだし、素敵な休日でしたね(^^)
by middrinn (2018-10-08 19:38)
middrinnさん,こんばんは♪
こういうのって,表に出す前に誰もチェックをしないのかなぁ・・・(´・ω・)?
by こじろう (2018-10-08 19:49)
こんばんは。
ブログ名もハンドルも意味不明のものがありますね。
他人の理解は「そんなん関係ねぇ」ってか。
コメントしても一言もないともなると不気味な感じがします。
反応がない人は多分 nice! を集めているだけなのでしょう。
by センニン (2018-10-08 20:15)
外国だと原稿を同学の知り合いにチェックしてもらうと聞きますし、
小生も論文原稿とかを頼まれてチェックしたことはあります(^_^;)
本書の単行本が出てから文庫化されるまでの間に専門家が指摘して
あげなかったのか謎(@_@;) 出版社も国文学の名門なのに(-ω-、)
こじろう様の今日の記事、行ったことないので興味深かったけどさ、
「三條」と旧字を使うなら「実美」も「實美」と表記した方がいいし、
また「さねみつ」という読みは初耳で、フツーは「さねとみ」^_^;
by middrinn (2018-10-08 20:25)
自己満足の世界ですから、他人には意味不明でも責められませんけどね^_^;
発信しながらコメもnice!も受け付けない引き籠もり、コメを受付ながらコメ
書いても無視なのは謎(^_^;) nice!収集家のは訪問したことないです^_^;
センニン様、フルートだけでなく、オカリナの記事も読んでみたいです(^^)
by middrinn (2018-10-08 20:56)
昨夜は今日のためにとても早くBEDに入りました^^
昼寝もしたので「寝られないかも」と心配しましたが
エアコンもつけず暑さも全く関係なくあっさり夢の中へ(⌒-⌒; )
かみさんはエアコンが切れたら起きるを繰り返してたみたいです(⌒-⌒; )
by ニッキー (2018-10-08 22:42)
暑くてタオルケット一枚で寝ましたもん(+_+)
寝付きの良さも好結果につながりましたね(^^)
by middrinn (2018-10-09 07:40)