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171005読んだ本

丸谷才一『文章読本』(中公文庫,1980)の「ちよつと気取つて書け」より「少しは調べて書け」(-"-)

【読んだ本】

目崎徳衛『百人一首の作者たち』(角川ソフィア文庫,2005)所蔵本

朝日夕刊の〈「新布石」発祥の地 ギャラリーで交流を〉という記事(足立朋子 ← 朝刊の一面にも
書いてるね!)に〈川端は38年、時の第一人者・本因坊秀哉名人の引退碁の相手を、当時29歳の木谷
が務めた歴史的な対局を観戦。のちに新聞に連載された観戦記は「名人」という短編に結実し、木谷
との交流はその後も続いた。〉とある(@_@) 足立朋子は川端康成の名作「名人」を「短編」とするが、
wikiには「長編小説」とある(^。^;) アマゾンには解説等を含めてだろうが新潮文庫で175頁の由^_^;
さて、小生的には知的刺激に満ち、愉しく読んでる本書も「二章 敗北の帝王――陽成院・三条院・
崇徳院」に突入(^^) まだ同章は読み終わらないのだが、百人一首に撰ばれている元良親王について、
次のような件があった(@_@) 〈『大和物語』は、天慶六年(九四三)五十四歳でなくなる元良親王の
死後間もなく成立した物語だが、こんな話を伝えている。/志賀の山越の道に、いはえといふ所に、
故兵部卿の宮(元良親王)、家をいとおかしうつくりたまうて、時々おはしましけり。いとしのびて
おはしまして、志賀にまうづる女どもを見たまふ時もありけり。おほかたもいとおもしろう、家も
いとをかしうなむありける。/「志賀」の寺とは近江の崇福寺のことで、都からこの寺に詣でる女人
が多かったことは、紀貫之(三五「人はいさ」)の、/志賀の山越えにて、石井のもとにて物いひ
ける人/の、別れける折によめる/むすぶ手のしづくに濁る山の井の あかでも人に別れぬるかな
(『古今集』八)〉/という名歌でも知られる。『大和物語』の「いはえ」という地は不明で、
あるいは貫之の詠んだ「石井[いわい]」かも知れないが、いずれにせよ洛東白川から山越えして
行く道中の、風光絶佳の所であったろう。〉・・・書き写してて不審な箇所があるも原文ママ^_^;
読書の常で、紀貫之の当該「名歌」(歌番号404)を手元の古今集の各注釈書で調べると、奥村恆哉
(校注)『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社,1978)は、詞書の「石井」を〈石で囲った泉。
「山の井」に同じ。〉とし(久曾神昇[全訳注]『古今和歌集』二[講談社学術文庫,1982]も片桐
洋一『原文&現代語訳シリーズ 古今和歌集』[笠間書院,2005]も同旨)、「すくいあげる手から
落ちる雫で、たちまち濁ってしまう、そんなささやかな山の井の水のように、満足もしないうちに、
はかなくお別れしてしまうのですね。」と訳(゚o゚;) 目崎は〈『大和物語』の「いはえ」という地は
不明で、あるいは貫之の詠んだ「石井」かも知れない〉などと推論も、「石井」は地名ではないから
(〝ささやかな〟石で囲った泉!)、「いはえといふ所」をソレに比定するなんてナンセンス(+_+)
序章に「・・・私が史学の徒として・・・」「・・・私は国文学・国語学の研究者ではなく、・・・」
とある以上、執筆前に古今集の注釈書ぐらい参照すべし(-"-); 読書や書評でも同じだぜ( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚

歴史や和歌の本を取り上げがちだが「史学の徒」でも「国文学・国語学の研究者」でもない小生(^。^;)
法制史に非ずと明記した処女論文が某誌の学界回顧の法制史で取り上げられ、がっかりした記憶(T_T)
タグ:和歌 古典 歴史
コメント(2) 
共通テーマ:学問

コメント 2

JUNKO

丸谷才一の本、書棚にあります。
by JUNKO (2017-10-06 16:45) 

middrinn

JUNKO 様は締まった良い文章をブログにお書きで、
「ひまわりはゴッホの世界であることを痛感。」という
今回の〆の一文などは気取った感じもせず素晴しいですね(^^)
by middrinn (2017-10-06 17:20) 

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