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170730読んだ本

祭りのゲストから地域を牛耳ってる世代が判る(@_@) その地域で自分がまだまだ若いことを知る^_^;

【読んだ本】

森田誠吾『明治人ものがたり』(岩波新書,1998)所蔵本

新古今集の俊恵の「立田山梢まばらになるままに深くも鹿のそよぐなるかな」という歌は古今集の
読人知らず(百人一首は猿丸大夫)の歌「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき」を
本歌とすると古くは北村季吟などが記してたらしいし、俊恵の同歌から『平家物語』の「大原入」の
「岩根ふみたれかはとはんならの葉のそよぐはしかのわたるなりけり」という歌が作られたのではと
久保田淳『新古今和歌集全注釈 二』(角川学芸出版,2011)は指摘(^^) 各歌は、それぞれの先行歌を
〈引用〉していることを誰にでも判るように明示してるわけじゃなく、各歌を知ってる、あるいは
久保田の前掲注釈書等を読んでれば、その〈引用〉=連関にも思い至った可能性が(^^) 更に言えば、
俊恵の同歌は他の先行歌も〈引用〉している or 平家物語の歌は俊恵以外の歌も〈引用〉しているが、
それらの存在を知らぬ小生が連関に気付いてない、という可能性も^_^; つまり、この世に存在する
各テクストの間には網(ネット)の目の如く張り巡らされた〈引用〉の関係性が無数にあるのかも、
という話(゚o゚;) そのリンクを読み手が認識できてないだけでね^_^; 電子媒体のは「無限にリンク」
してるが、紙の本は「閉じた媒体」である、という愚かな記述が、西牟田靖『本で床は抜けるのか』
(本の雑誌社,2015)にあったな(^。^;) その記述から著者の読書経験の貧しさが感じられ、蔵書で
床が抜けるんじゃないかなんて杞憂だろ、と思ったね(..) 当時は、リンクが生きているかどうかは
読書経験・量に左右されると思ったけど、そういった連関に気付かぬ多読家・読書家もいるわな(..)
本書の「はじめに」に、病床での「・・・一心不乱の思いつめた読書から、環になって〝不思議〟が
集まってきた・・・」として、「本が本をよぶ、とでもいうのでしょうか、全く縁がないはずの別々
の本から、おなじ人物なり、事柄なりが現われてきて、かえって真実のようなものが見えてくる。
しかもそれが、わずかな日日のうちのこととなると、ここでも〝不思議〟の思いにとらわれてしまい
ます。」とある(゚o゚;) こーゆー体験は結構あるあるだよね(^。^;) でも、何故なのかしら(´・ω・`)
無目的・無計画な乱読であっても意識下の問題意識が為さしめるのかな(@_@;) 読書も奥深い(..)

昨夜からの雨が昼過ぎまで続いたので色々な予定が潰れた(+_+) 雨上がりにウグイスの鳴き声が(^^)
タグ:書物
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コメント 2

ぽちの輔

地元のお祭りに顔を出すのも
議員さんの大事なお仕事みたいですね^^;
by ぽちの輔 (2017-07-31 06:33) 

middrinn

あるある、ですね(^^)
冠婚葬祭は欠かせないみたい^_^;
by middrinn (2017-07-31 07:21) 

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