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160725読んだ本&買った本

専門外なのに一般向けに本を書きまくり売れまくってるのを本職の美術史家はどう思ってるのかな(..)
若桑前掲の「多くの美術史家が、澁澤龍彦について沈黙しているのは、そのためである。」と同じ?

【読んだ本】

中野京子『名画の謎 旧約・新約聖書篇』(文春文庫,2016)所蔵本

6/12に言及した本書の野口悠紀雄「解説 本書を読んで教養を高め、尊敬を勝ち取ろう」の次の一文、
酷くね? 「教養が高まることの効用は大きい。本書にある絵が、(「東方三博士の礼拝」のように)
稀に日本で展示されることもある。そんなチャンスがあったら本書で勉強し、ガールフレンド(または
ボーイフレンド)と見に行こう。尊敬されること、請け合いだ。」だと^_^; 本書を読む人は下心あり
と思われかねん(-"-) 本書の「有名人と記念撮影」はボッティチェリ『東方三博士の礼拝』について
「ボッティチェリは優れた肖像画家でもあったから、当時は描かれている全ての同時代人が特定
できたようだ。今となってはさすがに全員はわからないが、それでも重要人物の名は知られている。」
として、コジモ・デ・メディチ、ロレンツォ・デ・メディチ、ボッティチェリ、グアスパッレ・デル・ラーマの
4人を比定している(^^) こーゆー知識を同画の前で女/男友達に披露しろという知ったかぶりの
勧めなんだろうね^_^; この4人だけは間違いありませんという書き方だけど、例えば、手元にある
芸術新潮2001年3月号の特集「ボッティチェッリ~ある世紀末画家の〝光と影〟」を見ると、モデルが
誰なのか未だに一致してないみたいだぞ^_^; 上記4人に関しては、ブルーノ・サンティによる比定は
本書がデル・ラーマとする人物を別人とし、ロナルド・ライトボーンによる比定はロレンツォを別人
とするし、同誌同号掲載の若桑みどり「ダンテとボッティチェッリ 千年王国の夢」もデル・ラーマと
ロレンツォを別人に比定^_^; なお、『世界の都市の物語13 フィレンツェ』(文藝春秋,1994)では、
「もっとも納得できるのは、ハットフィールドの説で、彼によれば・・・」云々と若桑は自らが依拠した
先行学説をちゃんと明記してた(^^) ← 研究者なら当たり前のマナーだけど(-_-) もっと最近のだと、
同誌2014年10月号の(同画を所蔵する)「ウフィツィ美術館ものがたり」という特集の同画説明文は
コジモ、ロレンツォ、ボッティチェッリは本書の比定と一致し、デル・ラーマに関しては言及なし^_^;
となると、「画中に描かれた人物については諸説があ」ったのは昔の話で、本書は最新の研究成果を
踏まえてるのね、と思うのは早計で、同誌2016年1月号の第2特集「ボッティチェリ」で「解説」する
京谷啓徳は本書がロレンツォと比定した人物は弟の「ジュリアーノ・・・であるとされることが多い」とし、
「・・・諸説あります。なかなか決定的なことがいえないのですが」と断りつつも、本書の比定とは
別の人物をロレンツォとする「[若桑、てゆーか、ハットフィールドの)]説に与するのがよいのでは
ないかと考えています。」と結論する^_^; さてさて、冒頭で引用した件で野口も特筆しているように、
同画は2016年1~4月に開催されてた「東京都美術館のボッティチェリ展の目玉作品」だったそうで、
京谷啓徳が同展「図録の解説執筆も務める」と同誌同号に記されている(^^) この京谷の「解説」から
想像すると、同展は観に行ってないし、同展の図録も見ていないけれど、もし野口が推奨するように
本書の説明に基づいて同画に関する知ったかぶりを披露してたら、尊敬されるより恥をかいたかも^_^;

村松剛『教養としてのキリスト教』(講談社現代新書,1965)所蔵本

安彦良和『イエス 愛蔵版』(NHK出版,2003)所蔵本

〈重い〉ので椅子に座って少しずつ読んでいたのも読了^_^; 上掲『名画の謎 旧約・新約聖書篇』には、
弟子ヨハネは「図像的には髭の無い中世的な容貌で描かれ」とあるが、本書は髭のあるオッサン顏^_^;

【買った本】

芸術新潮2016年8月号

「創刊800号記念特大号」とはいえ、定価1800円は高いね(@_@;) 何冊所蔵してるか数えようかと一瞬
考えたけど、時間かかりそうで止めた^_^; 特大号だから一部連載は休載の由、だから、「神の空間を
旅する 神社100選」という特集が丸々一冊を占めてる(@_@) そんな本誌だが、小生の目に留まったのは、
森岡督行(選+文)「作家が覗いたレンズ 第28回 丸山真男」(^^) 写真は少しセピアがかってるけど、
今は無き常呂駅の駅舎で、入口扉横に若そうな女性が独り立ってるから、記念撮影した感じのもの(^^)
引用・紹介されている丸山の「手記」が記す、この女性の半生(?)も興味深いけど、気になるのは、
森岡の「文」(@_@) 句読点が1~3つ間違っているために、トンチンカンな内容になってるよね(-_-)

  1982年9月、北海道大学での特別講義を終えた丸山真男は、
  同大学の松沢弘陽と千歳まで同行した後、
  一人、道北の旅に出ました。
  日本一の赤字で存続問題にゆれていた美幸線に乗るために、
  網走から常呂行きのバスで卯原内へ。
  松沢に「なんでもない自然がいいんだ」と
  写真について述べていた丸山は、
  能取湖畔で「サンゴ草の群生地」をカメラに収めました。
  そして丸山は、ここで一人の女性に声をかけられます。
  
美幸線で思い出したので(小生≠鉄)、宮脇俊三『時刻表2万キロ』(角川文庫,1979)第7章を再読
してみたけど、「土左日記」「奥の細道」の如く数百年後には紀行文学の古典になってそうな名著(^^)

検査の結果を聞きに行ったら、クローン病の疑いは消えたが、原因は結局不明のままで、様子見に^_^;
タグ:鉄道 絵画 紀行
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